11月月4日


 いよいよ弓競技が始まる。的となる斧が準備される。


πρῶτον μὲν πελέκεας στῆσεν, διὰ τάφρον ὀρύξας
π
ᾶσι μίαν μακρήν, καὶ ἐπὶ στάθμην ἴθυνεν, (21-120,1)

まず斧を立てた、ずっと溝を掘り

全て(の斧のため)に長く一本の(溝をほり)、墨縄で(斧を)真っ直ぐに並べ

ἀμφὶ δὲ γαῖαν ἔναξε: τάφος δ᾽ ἕλε πάντας ἰδόντας,
ὡς εὐκόσμως στῆσε: πάρος δ᾽ οὐ πώ ποτ᾽ ὀπώπει. (21-122,3)

周りの土を踏み固めた。見る者は皆呆気にとられた

そのように整然と並んだので、以前にこんなのは見たことがなかったのだ


この時実際斧は具体的にどんな風に並べられ、どのように射ることを競う競技だったのだろうか。既に一度ペーネロペイアがこの競技について予告していた詩行があった。それを読み返してみる。それは第十九歌、例の象牙と角で出来たの夢の門についての話の後の言葉だった。


「オデュッセウスの家から私を引き離す朝がもう来ています。というのも、もう私は斧を競技のために据えようとしているのです。それらの斧は彼が館にいて、船木台の様に順番に全部で十二丁並べ、ずっと遠くに立って矢で貫き通したものでした。いまこの競技を求婚者達にやらせましょう。掌で最もたやすく弓を張った者、そして十二丁の斧を全て射貫いた者、その者に私は従いましょう」(19-171~9)


色々な想像図があるが、要は十二丁の斧を一直線にならべ、その全ての斧の束(を取ったそ)の穴を射通すということであるらしい。奇想天外だ。そんなことが出来るのか。又一体どうしてそんなことをペーネロペイアは持ちだしたのか。しかし一寸長くなりそうだ、続きは明日にしよう。


昨日の山田洋次監督の文化勲章受賞に触れた新聞コラムが面白かった。「寅さん」は「さいなら」の文化だ。「さいなら」と「さよなら」とは大分違う。前者は軽い、またじきに会う様な感じがする別れだが、後者はあらたまったお別れだ。寅さんは必ず「さいなら」だ、と。なるほどその通りだ。そして「さようなら」となるともっとかしこまったよそ行きの語調となる。こういった機微も「文化」なのだろう。