11月3日
アンティノオスの「困難至極なἀάατον」発言に次の詩行が続く。
ὣς φάτο, τῷ δ᾽ ἄρα θυμὸς ἐνὶ στήθεσσιν ἐώλπει
νευρὴν ἐντανύσειν διοϊστεύσειν τε σιδήρου. (21-96,7)
このように彼は言った、しかし彼の心の中では思っていた
弓弦を張り鉄(の斧)を射貫こうと
ἦ τοι ὀϊστοῦ γε πρῶτος γεύσεσθαι ἔμελλεν
ἐκ χειρῶν Ὀδυσῆος ἀμύμονος, ・・・ (21-98,9)
ところが真っ先に矢を味わうことになっていたのだ
誉れ高いオデュッセウスの手から・・・
それをもって求婚の望みを達せんとした弓矢が、実は自らの命を奪うものとなる。その皮肉の度合いを高めているのが「味わうγεύσεσθαι」だ。「味わう」のは通常食物であり、γεύσεσθαιには「楽しむ」の語義もある。しかしここでは「矢ὀϊστοῦ」を味わうのだ。
「矢を味わうὀϊστοῦ γεύσεσθαι」から日本語の「切れ味」という言葉を思い浮かべた。刃物と味の組み合わせの共通性は興味深い。しかし共通点はあるものの、どうも観点は違う様だ。というのも前者は攻撃された者(射られた者)が味わうのであり、後者は攻撃する者(切る者)にとっての味だからだ。
観点が同じという点ではむしろ「(一撃を)食らう」とか「(苦杯を)喫する」とかの日本語の方が近い。