10月25日


夜が明け、オデュッセウスは起き上がりゼウスに祈る。人の言葉と戸外のゼウスの徴によって吉兆を示して下さるようにと。ゼウスはまず雷鳴によって徴を示し、次に人の言葉の方に移る。

館の中に沢山の臼が据えてある。


τῇσιν δώδεκα πᾶσαι ἐπερρώοντο γυναῖκες
ἄλφιτα τεύχουσαι καὶ ἀλείατα, μυελὸν ἀνδρῶν. (20-107,8)

その臼には皆で十二人の女がかかっていた

大麦や小麦、人の栄養となるものを作るべく(かかっていた)


αἱ μὲν ἄρ᾽ ἄλλαι εὗδον, ἐπεὶ κατὰ πυρὸν ἄλεσσαν,
ἡ δὲ μί᾽ οὔπω παύετ᾽, ἀφαυροτάτη δ᾽ ἐτέτυκτο: (20-109,10)

他の女達は麦を挽き終わって睡りに就いた

だが、その女は独りやめていなかった、一番力が弱かったもので


その女が言う、「求婚者達がオデュッセウス様の館で食事するのも今日という日が最後となりますように」と。

一番弱い者、あるいは不具な者が神意を伝える。そういう伝統は色々な民族で見られるようだ。


シモーヌ・ヴェイユは昨日触れたエッセイ「『イーリアス』あるいは力の詩編」の中で『オデュッセイアー』についてこう言っている。「『オデュッセイアー』はあるときは『イーリアス』の、あるときはオリエントの詩の、素晴らしい模倣に過ぎない様に思える」と。

ここで「オリエントの詩」とは何を指しているのだろうか。恐らくなんらかの具体的な詩を指しているのではあるまい。『オデュッセイアー』の前半に見られる怪異譚や民話的挿話がオリエント的詩想だということではないだろうか。