10月21日

オデュッセウスは広間の隣で横になるが眠れない。求婚者達と通じた女達が彼らのもとに笑いさざめいて赴くのが聞こえる。オデュッセウスの「胸の中の心臓は(犬の如くに)吠え立てるκραδίη δέ οἱ ἔνδον ὑλάκτει」。しかし、彼は「心臓κραδίην」に言い聞かせる。

τέτλαθι δή, κραδίη: καὶ κύντερον ἄλλο ποτ᾽ ἔτλης.
ἤματι τῷ ὅτε μοι μένος ἄσχετος ἤσθιε Κύκλωψ (20-18,9)

耐えよ心臓、もっと酷いことをさえかつてお前は耐えたのだ

あの手に負えない暴虐のキュクロープスが食べたときに


ἰφθίμους ἑτάρους: σὺ δ᾽ ἐτόλμας, ὄφρα σε μῆτις
ἐξάγαγ᾽ ἐξ ἄντροιο ὀϊόμενον θανέεσθαι. (20-20,1)

勇敢な仲間を(食べたときに)、お前は耐え忍んで策略をもって

洞穴から脱出することが出来たのだ、死を覚悟していたところを

ここでオデュッセウスはオデュッセウスの「心臓κραδίην」に語りかけている。では語りかけているのはオデュッセウスの何か。記憶を保ち、知恵を働かせ、身体各部を司ろうとする何かだ。近代人なら理性とか意思とか意識とか、あるいはもっと広く自我と呼ぶのだろう。この一節ではそれにまだ名が与えられていない。しかしこの一節に近代的自我の萌芽が見られることは確かなようだ。

鎌倉吟行。秋晴れの古都。

 駆け込み寺小(ち)さき花野に迎へらる  柚

東慶寺だろう。「迎えられ」たのは作者だが、同時にこれまで千年に亘って必死で駆け込んだであろう女性達でもある。ささやかながら救いがある、あるいはあって欲しいとの気持ちがこもっているようだ。「小(ち)さき」がきいている。

  秋高し若き人力車夫の声  拙作