10月13日
さていよいよ、エウリュクレイアは老人の足を洗い始める。
ψυχρόν, ἔπειτα δὲ θερμὸν ἐπήφυσεν. αὐτὰρ Ὀδυσσεὺς
ἷζεν ἐπ᾽ ἐσχαρόφιν, ποτὶ δὲ σκότον ἐτράπετ᾽ αἶψα: (19-388,9)
冷たい(水を)、次には熱い湯を掛けた。オデュッセウスの方は
炉辺に腰掛けていたが、素早く暗い方に顔を背けた
αὐτίκα γὰρ κατὰ θυμὸν ὀΐσατο, μή ἑ λαβοῦσα
οὐλὴν ἀμφράσσαιτο καὶ ἀμφαδὰ ἔργα γένοιτο. (19-390,1)
すぐに心に覚ったからだ、彼女が彼(の足)を取って
傷痕に気づき、事が露見してしまうのではないかと。
νίζε δ᾽ ἄρ᾽ ἆσσον ἰοῦσα ἄναχθ᾽ ἑόν: αὐτίκα δ᾽ ἔγνω (19-392)
老乳母は間近で主人を洗っていて、すぐに(傷痕に)気づいた
「偽装」と「認知」に関わるキーワードがいくつも出てくる。
389行目の「暗いσκότον」と「背けたἐτράπετ᾽」、これらは偽装の範疇だ。
391、2行目の「気づくἀμφράσσαιτο 」「露見ἀμφαδὰ」そして「気づいたἔγνω」、これらは認知の範疇だ。
傷痕が認知の手がかりになる事実も興味深い。人類は、生き別れになっていた様な場合、何千年もの間その様にして見分けてきたのだった。身体は脱ぎ替えることが出来ないということだろう。そして、傷痕も残っていない様な損傷の激しい遺体の場合どうだったかというと、大災害の遺体確認に携わった人によると認知の手段は歯型だということだった。
「身体は脱ぎ替えることが出来ない」といった。確かに身体を脱ぎ替えると言うことは、自分自身ではなくなることだ。ホメーロスは魂に対比して、それが去ったあと残された遺体の方を「自身αὐτοὺς」と呼んでいる(『イーリアス』1-4)。
ところが今そこのところが揺らぎ始めているのかも知れない。整形、形成外科の進歩、臓器移植の普及、そして今話題のiPS細胞の出現。ホメーロスとは離れたところに人類は進もうとしているのだろうか。