10月11日


老人は誓った上でペーネロペイアに断言する。


τοῦδ᾽ αὐτοῦ λυκάβαντος ἐλεύσεται ἐνθάδ᾽ Ὀδυσσεύς,
το
ῦ μὲν φθίνοντος μηνός, τοῦ δ᾽ ἱσταμένοιο. (19-306,7)

オデュッセウス様はこの年の内にここに帰って来られるでしょう

この月の尽きる内に、新しい月の立つ内に


「新しい月の立つ内に」の「立つ」はἱσταμένοιοの直訳だ。この詩句について呉茂一は「月初をギリシア人も『月が立つ』(ついたち)histamenoioという」と註をつけている。

 日本語の「ついたち」が「月立ち」であるとは迂闊なことにここで初めて気づいた。そしてそれがギリシア人と同じ言葉を遣っているとは面白い。

 ペーネロペイアはこう言う。客人をぞんざいに扱うことは出来ない、他人に対して過酷に接する者、


τῷ δὲ καταρῶνται πάντες βροτοὶ ἄλγε᾽ ὀπίσσω
ζω
ῷ, ἀτὰρ τεθνεῶτί γ᾽ ἐφεψιόωνται ἅπαντες: (19-330,1)

その者に対して、人は皆後々呪いを掛けるでしょう

生きていれば、死ねば死んだで皆が嘲りましょう


それに対して、非の打ち所のない者は皆が称えるでしょう、と。

 「生きていれば、死ねば死んだでζωῷ, ἀτὰρ τεθνεῶτί γ᾽」とは畳みかける調子だ。

良きにつけ悪しきにつけ「他人からどう思われるか」、これが大きな行動原理であったようだ。


『榠樝』第五十三号届く。第一号からたゆまず連載されていた『イーリアス』満田訳が本号掲載分を以て完成。

この翻訳は、前もちょっと触れたが、徹底した直訳で、詩編の各詩行を和訳一行に納め、語順も極力原詩に倣い、そして訳語も原語に忠実、意訳を避けている。したがって日本語としては時に佶屈、時に珍妙だ。しかしそこには時折ホメーロスの語調が原石の底光りのように感じられることがある。

原詩に忠実なだけにホメーロスを原語で読もうとする者にとっては得がたい伴侶だ。そしてそれにとどまらず、その佶屈さ、珍妙さの中には日本語としての新たな可能性が秘めらているかも知れないという気もする。