10月10日
オデュッセウスの服装についての証言が続く。
τὸν δὲ χιτῶν᾽ ἐνόησα περὶ χροῒ σιγαλόεντα,
οἷόν τε κρομύοιο λοπὸν κάτα ἰσχαλέοιο: (19-232,3)
肌につけていた艶やかな下着も見ました
丁度乾いた玉葱の皮のような
τὼς μὲν ἔην μαλακός, λαμπρὸς δ᾽ ἦν ἠέλιος ὥς:
ἦ μὲν πολλαί γ᾽ αὐτὸν ἐθηήσαντο γυναῖκες. (19-234,5)
そのように柔らかで、太陽のように輝いていました
沢山の女達が彼を賛嘆して眺めました
233行目の「玉葱の皮κρομύοιο λοπὸν」の比喩は新鮮だ。とても三千年ほども昔の表現とは思えない。
ただ、「乾いたἰσχαλέοιο」はどうだろう。むしろ「乾いていない」ではないか。そういえばἰσχαλέοιοの直前にある前置詞κάταも若干疑問だ。κάταは通常「下に」とか「沿って」とかを意味する前置詞だが、この詩行での働きは曖昧の嫌いがある。κάταがなくても(οἷόν τε κρομύοιο λοπὸνだけで)「丁度玉葱の皮のような」の意味を表現し得ている。そこで、κάτα ἰσχαλέοιοとなっているところに何らかの異文がないか調べてみたが、どうもさしたるものはないようだ。
テキストの改変には慎重の上にも慎重であらねばならない。特にに専門の文献学者はこの点に関して修道僧のように禁欲的で、確たる根拠のない異文想定はタブーだ。その姿勢には最大限の敬意を表したい。しかしここでは、邪道だと叱られそうだが、「玉葱の皮κρομύοιο λοπὸν」の比喩が出色であるだけにアマチュアの特権で敢えて言わせてもらうことにしよう、ここに何らかのテキスト上の問題があるのではないか、と。そしてもし私が吟遊詩人の一人であったならきっと、κάτα ἰσχαλέοιοのところに「乾いていない、瑞々しい」の詩句を当て嵌めることだろう。
昔の級友から、「今日のテレビの俳句番組に自分の老母の句が紹介される」との連絡があった。そこで、俳句とテレビはどうも馴染まない気がして普段は見ないのだが、今日は見てみた。選者有馬朗人、ゲスト高橋順子、アナウンサー桜井洋子。進行は適度の間合いでテンポもよかった。
級友の母親の句は
サフランや船を模したるカフェテラス 悦子
選者、ゲスト共に高評価していたが、確かに口ずさんで心地よい句だ。旅心や懐かしさもある。一緒に見ていた俳句に門外漢の家内も「お洒落だね」との感想。