10月8日

さて今度は、その涙する妻を前にしたオデュッセウスの様子の描写に移っていく。

ὣς τῆς τήκετο καλὰ παρήϊα δάκρυ χεούσης,
κλαιούσης
ἑὸν ἄνδρα παρήμενον. αὐτὰρ Ὀδυσσεὺς (19-208,9)

そのように涙する彼女の美しい頬は溶けた

傍にいる彼女の夫を悲しんで。一方オデュッセウスは

θυμῷ μὲν γοόωσαν ἑὴν ἐλέαιρε γυναῖκα,
ὀφθαλμοὶ δ᾽ ὡς εἰ κέρα ἕστασαν ἠὲ σίδηρος (19-210,1)

嘆いている妻を心で哀れに思いつつ

両目は角か鉄の如くに凝としていた


ἀτρέμας ἐν βλεφάροισι: δόλῳ δ᾽ ὅ γε δάκρυα κεῦθεν. (19-212)

瞼の中で微動だにせず、そうして巧みに涙を隠していた

 この一節には触れたいことが沢山ある。

まず、209行目の「傍にいる彼女の夫を悲しんで」。身を窶した夫の偽装が、悲劇の中に喜劇的一齣を生んでいる。

210行目の「哀れに思った」。ここで再会後初めて、オデュッセウスがペーネロペイアに抱いた親身の感情が表現されている。

211行目の「角か鉄の如くにὡς εἰ κέρα ἠὲ σίδηρος」とは大胆な比喩だ。歯を食いしばって涙をこらえるさまだろう。

ペーネロペイアの「溶けたτήκετο」と、オデュッセウスの「凝と微動だにせずἕστασαν ἀτρέμας 」の対比も面白い。好対照だ。

ブルゴーニュ旅行のアドバイスをしてくれた人に旅の報告をしたら、犬の糞を踏んだ災難について興味深いことを教えてくれた。

フランスでは糞を左足で踏むと幸運が来るといわれているのだそうだ。「ウン」との音の繋がりで運勢と関係があると聞いていたような気もするが、「左足」とはまた面白い。ホメーロスでは右が吉兆だが、その反対なのはマイナス×マイナス=プラスということか。

ちなみに私の場合は左足だったので、迷信とは思いつつ、幸運を期待しよう。