10月2日


 また例の小生意気な女召使いメラントーがやって来てオデュッセウスに毒づく。


ξεῖν᾽, ἔτι καὶ νῦν ἐνθάδ᾽ ἀνιήσεις διὰ νύκτα
δινεύων κατ
ὰ οἶκον, ὀπιπεύσεις δὲ γυναῖκας; (19-66,7)

よそ者よ、今もまだここにいて一晩中煩わすのね

家の中をうろつきまわって、女たちを覗って


「覗って」と訳したὀπιπεύσειςは、『オデュッセイアー』ではここだけに使われている単語だが、『イーリアス』では二回使われている。

τί πτώσσεις, τί δ᾽ ὀπιπεύεις πολέμοιο γεφύρας; (4-371)

なぜ引きこもっているのか、なぜ戦いの狭間を覗っているὀπιπεύειςのか

これは、アガメムノーンがディオメーデースに対して戦いを避けているといって詰る言葉だ。

ἀλλ᾽ οὐ γάρ σ᾽ ἐθέλω βαλέειν τοιοῦτον ἐόντα
λάθρ
ῃ ὀπιπεύσας, ἀλλ᾽ ἀμφαδόν, αἴ κε τύχωμι. (7-242,3)

しかし拙者もそれほどのものであるお主を撃とうとは思わぬ

隙を覗ってὀπιπεύσας(撃とうとは)、いや撃ち当てられるかどうか堂々とやろう

これは、ヘクトールがアイアースとの一騎打ちに臨んだときの台詞だ。

『イーリアス』における二例、いずれも戦いに関わる場面だ。戦いに関わる言葉が、『オデュッセイアー』では女を見る男の視線に使われている。これも両詩編の違いだろう。しかしながらその違いを超えて、両詩編の用例に共通なニュアンスがあることに気づく。それはその視線の含む卑怯さだ。


今朝早朝羽田帰着。

荷物片付け、写真や絵葉書整理、日録加筆。溜まったメールの然るべき返答もある。結構忙しい。時差ぼけなどといっておれぬ。