10月1日
第十九歌が始まる。
求婚者達が引き上げ、オデュッセウスは広間に残る。テーレマコスと打ち合わせどおり広間から武具を撤去する。そしてオデュッセウスは息子に言う。
ἀλλὰ σὺ μὲν κατάλεξαι, ἐγὼ δ᾽ ὑπολείψομαι αὐτοῦ, (19-44)
さあお前は寝なさい、私はここに残る
ὄφρα κ᾽ ἔτι δμῳὰς καὶ μητέρα σὴν ἐρεθίζω:
ἡ δέ μ᾽ ὀδυρομένη εἰρήσεται ἀμφὶς ἕκαστα. (19-45,6)
女召使い達やお前の母親の気持ちをもっと掻き立てるために
私のことを悲しんでいる彼女は、色々と訊ねてくるだろう
実はここの一節はよく分からない。
まず、「寝なさいκατάλεξαι」と言っているが、久しぶりの夫婦対面の場にテーレマコスはいない方がよいということなのだろうか。テーレマコスが子供扱いのようで若干不審だ。
それと「気持ちを掻き立てる」と訳したἐρεθίζωの意味するところは何なのか。ἐρεθίζωは通常「(怒りや好奇心を)掻き立てる」という意味だ。何のために「気持ちを掻き立てる」のだろうか。オデュッセウス得意の「試す」、即ち本心を探るということかもしれない。しかしそうすると、女召使い達はともかく、ペーネロペイアの本心も疑っていることになるが、そうなのか。
ここら辺の疑問は一応脇に置いておこう。読み進むにつれて解けてくることがあるかも知れない。
早朝空港行きバスに乗る前、リヨン駅構内のカフェで朝食。
カフェオレとパンを受け取ってトレイをテーブルに置くとき、家内がカフェオレのカップをひっくり返す。店の人が料金も受け取らずに取り替えてくれたのは有難かったのだが、呑もうとしたら今度は私がひっくり返す。よく見たらトレイについているのカップ置きの窪みがトレイ中央でなく片方によってついているのだ。無意識にカップを真ん中に置こうとすると傾いてひっくり返る仕組みだ。隣のテーブルの初老の男がこっちを見て笑っている。「夫婦揃ってぶきっちょな」と呆れての笑いかと思ったらそうではなかった。その男のトレイでもパンがカフェオレまみれになっていたのだ。
リヨン駅は歴史が感じられ建物としても見応えがある。夜明け時の駅舎は格別だ。
溶け残る月に送られ東方に 拙作
翌朝早朝羽田帰着。