9月24日



アテーネーはペーネロペイアに求婚者達の前に姿を見せる気を起こさせる。息子に為になることを一言言うためだ。すると老女エウリュノメーは「そうなさいませ、先ず涙を拭って化粧をして。いつまでも悲しみに沈んでいるのは良くないことです」と言ってこう続ける。



ἤδη μὲν γάρ τοι παῖς τηλίκος, ὃν σὺ μάλιστα
ἠρῶ ἀθανάτοισι γενειήσαντα ἰδέσθαι. (18-175,6)

もうあなたのご子息はその年頃なのですから、あなたがことさら

髭を生やした姿を見たいと神々に願っていらした(その年頃なのですから)



「年頃なのですから」と理由を説明しているが、何に対する説明なのかちょっとわかりにくい。「ペーネロペイアが息子に忠告すること」に対してなのか、「悲しみに沈んでいるのは良くないということ」に対してなのか。前者だとすれば「テーレマコスは忠告を充分理解する分別を備えた年頃になっているから」ということになろうし、後者なら「そんなに悲しんでいることはない、テーレマコスは然るべき若者になったのだから」ということになろう。恐らく、この乳母はペーネロペイアに忠実な召使いだから求婚者達征伐への暗黙の期待を込めて、後者だろう。

ところで「髭を生やした姿γενειήσαντα」という表現は面白い。髭が若者の一人前の男になった証だったわけだ。と同時に、ホメーロスにとって髭の生え始めは若者の美しさの証でもあったようだ。既にこう言う箇所があった。ヘルメース神が若者に扮して魔女キルケーの館に向かうオデュッセウスに助っ人となるべく現れたことを叙した詩行だ。

ἐρχομένῳ πρὸς δῶμα, νεηνίῃ ἀνδρὶ ἐοικώς,
πρ
ῶτον ὑπηνήτῃ, τοῦ περ χαριεστάτη ἥβη: (10-278,9)

館に向かう(私の)ところに(姿を現した)、若者に扮して

髭が生え初めた頃の(若さの)、その若さは最も美しい

ホメーロス風青年賛歌だ。



日帰り小旅行でオータンへと向かう。鉄道とバスを乗り継いでで三時間。ここの聖堂にある柱頭彫刻を見るためだ。聖堂に向かう坂道の一角に古本屋がある。ショーウインドーの『ジョルジュ・デュアメルの二十世紀におけるホメーロスHomère au xxe siècle de GEORGES DUHAMEL』という書の表題が目にとまる。「ホメーロス」とあるとすぐ目に飛び込んでくるから不思議だ。誰かトーマス・マン狂いの人が八百屋の「トマト」の札にオッと思うことがあるといっていたが、全くそうだ。店はまだ開いてないので後で寄ることにする。

聖堂脇の柱頭彫刻展示室に入る。

「東方三博士の礼拝」。天使の指。左手人差し指は星を指し、右手人差し指は一人の博士の手を触って起こそうとしている。触られた博士は両目を開けている。他の二博士は寝入っている。それぞれの表情がいい。掛けられたシーツの襞もいい。予感に満ちている。

「エジプト逃避」。馬もキリストも足の彫りは稚拙そのものだ。馬の前足と後ろ足のバランスが全くとれていない。素人舞台の馬の足のようだ。キリストの足に至ってはまるで二本の棒だ。それでも聖母、キリストそして馬の表情が響き合い深い清らかさを表している。

古本屋は一日休みだった。残念。

 秋風の縫ふ道堂へ向かふ道  拙作