9月13日


昨日のオデュッセウスのアンティノオスに対する反撃の一節の中に、こういう詩行がある。

  

ὢ πόποι, οὐκ ἄρα σοί γ᾽ ἐπὶ εἴδεϊ καὶ φρένες ἦσαν: (17-454)

おお何と、お前さんは見かけに心が伴っていなかったのだな


少し前に、ἐπὶ εἴδεϊ(見かけに伴って)の詩句が、オデュッセウスの言葉として老犬アルゴスにも用いられていた。

εἰ δὴ καὶ ταχὺς ἔσκε θέειν ἐπὶ εἴδεϊ τῷδε, (17-308)

(この犬は)このような姿に加えて(ἐπὶ εἴδεϊ)足も速かったのだろうか

 この両詩行についてJoseph Russoは註でこう記している。

「両詩行共に魅力的外見と内的現実との間の関係に注意を喚起している。この関係は、偽装モチーフ(disguise motif)と名付けられたものの系であり、『オデュッセイアー』全編を通じて大きな重要性を有している」

成る程、「偽装モチーフ(disguise motif)」とは上手い捉え方だ。先ず「変装」は勿論そうだし、「嘘」も「作り話」もそうだ。「試すこと」もそれに繋がる。確かにこれはこの詩編の最重要テーマであるようだ。


芭蕉の俳句の中で一句を選べと言われたらどれを選ぶだろうか。

これも人によりけりだが、投票してトップに来そうなのは「古池や」か「旅に病んで」あたりだろうか。筆者は、

行春や鳥啼き魚の目は涙

をとりたい。生きとし生けるものに対する情感が溢れ幻想画のようだ。それともう一句、

  人声やこの道帰る秋の暮

もとりたい。「人声や」がいい。なんとも懐かしい。二句になったが、春秋一句づつということで許してもらおう。