9月10日


まず豚飼が館の中に入る。次いでオデュッセウスが入り、戸口の敷居に腰を下ろす。


κλινάμενος σταθμῷ κυπαρισσίνῳ, ὅν ποτε τέκτων
ξέσσεν
ἐπισταμένως καὶ ἐπὶ στάθμην ἴθυνεν. (17-340~341)

杉の木の柱に寄りかかって(腰を下ろした)、その柱は大工が

巧みに削り、墨縄で真っ直ぐにしたものだった


墨縄が登場する341行目はどこかで出会ったことがあった詩行だと思い、調べてみたら第5歌245行目(3月9日の項)にあった。その時は船木を削ったのだった。

εἴκοσι δ᾽ ἔκβαλε πάντα, πελέκκησεν δ᾽ ἄρα χαλκῷ,

ξέσσε δ᾽ ἐπισταμένως καὶ ἐπὶ στάθμην ἴθυνεν. (5―244,5)

二十本(の木)をすべて切り倒すと、青銅で枝を落とし

巧みに削っていき、墨縄を当てて真っ直ぐにした

今回の第17歌341行への註でJoseph Russoはこう記している。

「大工が水準器を使って完全に真っ直ぐな柱を制作するのを叙する詩句が、全く長長格リズムで構成されているのは単なる偶然であろうか」

第5歌の時は気づかなかったが、指摘されてみるとその通りだ。341行目の後半(第四脚から第六脚)の韻律は「長長/長長/長長 [pistath/mênî/thyûnen]」となっている。ホメーロスの韻律は「長長」か「長短短」どちらかを一脚とし、それを六つ続けて一詩行を作っている。だから「長長」が並ぶこと自体は珍しいことではないのだが、通常第五脚はほとんどが「長短短」で、「長長」がくることは稀だ。全詩行のせいぜい数パーセントと言われている。

そこで [pistath/mênî/thyûnen] を何度か口ずさんで見るが、「単なる偶然」であるかどうか、なかなか判断がつかない。ただ、特に第五脚の [ mênî ] は「長長」の韻律と [ ê+î ] の音調が相俟って「真っ直ぐ」な感覚と響き合っているような気がする。そして、その [ mênî ] が「墨縄στάθμην」と「真っ直ぐにしたἴθυνεν」の両語の接点で生じたものであることは示唆的だ。


ここら辺の音調やリズムは実に微妙で、調べがいいと感じたりある雰囲気を感じたりして、それはどこから来るのか探ってみたいと思うことがある。そして、分析して何かがある程度分かることもあるが、分析では捉えがたいことも多い。そういう場合は、喉と耳で感じるしかない。いや、仮に分析して何かの特徴を捉えたように思えた場合、それはそれで興味深いのだが、それはやはり理の世界のことであって詩の享受とは別のことだ。それはいったん忘れて、ホメーロス自身やホメーロスの聴衆と同じように、改めて虚心に口ずさんだり耳を澄ましたりしてみるにしくはない。和歌俳句もそうだがホメーロスもそうだ。