9月5日


テーレマコス達が館の中で話をしている間、求婚者達は外で円盤投げだの槍投げだのに興じている。夕食の時が近づく。


καὶ τότε δή σφιν ἔειπε Μέδων: ὃς γάρ ῥα μάλιστα
ἥνδανε κηρύκων, καὶ σφιν παρεγίγνετο δαιτί: (17-172,3)

そしてその時メドーンが彼らに言った。彼は彼らに最も

伝令達の中で気に入られていたので、それで彼らの食事に同席していた


このメドーンという伝令役の男は脇役としてちょっと興味をそそる人物だ。二股膏薬的なところがあり、上記詩行のように求婚者達に交わって気に入られているかと思えば、そこで得た機密事項をペーネロペイアに注進に及んだりもする(2月24日の項。そこで名は記さなかったが、注進した伝令はメドーンだった)。

メドーンは食事時であることを告げて、こう付け加える


οὐ μὲν γάρ τι χέρειον ἐν ὥρῃ δεῖπνον ἑλέσθαι. (17-176)

というのも然るべき時に食事を取るのも決して悪くはないでしょうから


「決して悪くはないでしょうοὐ μὲν γάρ τι χέρειον」などまるで幇間の口振りだ。


昨日、「人間ἄνθρωπος」にかかる枕詞的形容詞「μέροψ」に触れた。翻って日本の古語で「人」につく枕詞はあるのか。あった、「うつせみの、うつそみの」だ。古語辞典には「世」「身」「命」「人」にかかる、とある。『万葉集』にもたびたび出てくる。

うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良虞の島の玉藻刈り食す(巻一24)

うつそみの人にある吾れや明日よりは二上山を弟(いろせ)とわが見む(巻二165)

 「うつせみの、うつそみの」の「うつ」は「うつつ(現)」だから、死と反対だ。したがって一見「死すべき」という形容詞と全く逆の捉え方のようだが、必ずしもそうではない。「うつせみの」や「うつそみの」、そして「うつつ」にはやはり儚さが揺曳している。だからこそ後世「うつせみ」が「空蝉」と綴られたり、「うつつ」が「夢見心地」の意味を帯びるようになったのだろう。