9月3日
テーレマコスは広場で人に会い、館に戻って食事する。そこで、ペーネロペイアが言う。
「テーレマコスよ、私は二階にあがって臥所につこうと思います、その臥所は私にとって嘆きに満ちたものです。・・・しかしあなたはしてくれようとしなかった、傲慢な求婚者達がこの館に帰ってくる前に、あなたの父親の帰郷について何か聞いたかどうかはっきり話すことを」(17-102~6)
この一節は、昨日のテーレマコスが帰館して初めてペーネロペイアに会った時のやりとりを受けている。その時は「さあ全て話して下さい、見て来た限りのことを」との母親の問に対して、テーレマコスは答えず、かわりに「二階に行って云々」の言葉があり、その言葉はἄπτεροςだったのだった。
ペーネロペイアは今日の一節では、先ず「二階にあがって臥所につこうと思います」と機先を制した上で、前回の「さあ全て話して下さい、見て来た限りのことを」のような直接的問いは避け、
・・・οὐδέ μοι ἔτλης, (17-104)
・・・しかしあなたはしてくれようとしなかった
と、嘆くように、恨むように、訴えかけている。強い息子に対する弱い立場の母親の語調だ。
昨日の声門の話だが、人類が声を獲得したのはいつのことか。泣き声や叫び声に留まっていた状態から言葉としての声を生み出したのは人類発生時だ。いやむしろ、それを生み出した時をもって人類発生と呼ぶというべきだろう。人類ばそれ以降、恐らく十万年近くに亘って声としての言葉を育んできたのだった。
ホメーロスの口承・口頭叙事詩の最大の魅力は、その人類の声の伝統に深く棹さしその遺産を凝縮して体現しているところにあるのだと思う。そしてホメーロスによる両詩編の成立が文字の発明と時期を同じくしていることは示唆的だ。それは、「声としての詩」が「文字としての詩」によって取って代わられようかという時に成った、「声としての詩」自身による「声としての詩」への挽歌であったのかも知れない。「もののふ共の武勲を歌うアキレウス」(『イーリアス』9-189)の一節が想起される。というのも、それは英雄自身による英雄時代への挽歌ともとれるからだ。