8月24日


アテーネーは戸外で、オデュッセウスの姿を窶れた老人から美丈夫に返す。小屋に戻ったその姿を見てテーレマコスは「神か」と驚く。オデュッセウスは「神ではない、お前の父だ」と言うが信じない。そこでふたたび、テーレマコスにこう言う。


οὐ μὲν γάρ τοι ἔτ᾽ ἄλλος ἐλεύσεται ἐνθάδ᾽ Ὀδυσσεύς, (16-204)

他のオデュッセウスがここにやってくることはない


ἀλλ᾽ ὅδ᾽ ἐγὼ τοιόσδε, παθὼν κακά, πολλὰ δ᾽ ἀληθείς, 

ἤλυθον εἰκοστῷ ἔτεϊ ἐς πατρίδα γαῖαν. (16-205,6)

この私がそれなのだ、苦難を蒙り、散々放浪した挙げ句

二十年目にして故郷に帰り着いたのだ


 この場面でのオデュッセウスは実に率直だ。いつものオデュッセウスからは考え難いくらいだ。「私がそれなのだὅδ᾽ ἐγὼ」など端的無比だ。

「他のオデュッセウスἄλλος Ὀδυσσεύς」という表現も面白い。


八月句会。八月は鎮魂の月でもある。

 生きてる手生きている顔墓洗ふ  半眼

生者が身体の部分で捉えられている。生者の意識は死者の魂と対話しているので、意識の身体統合機能の方は忘れられているのだろう。「生きてる」「生きている」の反復がきいている。

 怪談のうまき祖母なり魂迎え  拙作