8月21日


テーレマコスの言葉を受けて、オデュッセウス扮する老人は初めて息子に口をきく。


αἲ γάρ ἐγὼν οὕτω νέος εἴην τῷδ᾽ ἐπὶ θυμῷ,
ἢ παῖς ἐξ Ὀδυσῆος ἀμύμονος ἠὲ καὶ αὐτός: (16-99,100)

私がこの心を持ったままで若さがあればよいのだが

立派なオデュッセウスの息子か、(オデュッセウス)本人か(と同じくらいに)


 前回の息子のいささか軟弱な言葉を聞き咎めたのだろう、同じνέοςの語を使って、その「若さνέος」さえあれば、と切り返している。

 それにしても、際どい場面での際どい台詞だ。老願人に身を窶したオデュッセウス自らが息子に向かって、「オデュッセウスのὈδυσῆος息子」とか「その本人」とか言うのだから。


βουλοίμην κ᾽ ἐν ἐμοῖσι κατακτάμενος μεγάροισι
τεθνάμεν
ἢ τάδε γ᾽ αἰὲν ἀεικέα ἔργ᾽ ὁράασθαι, (16-106,7)

むしろ我が館で打ち殺されて死ぬことを望むだろうがな

そんな非道い仕業をずっと見ているよりは


ここでは、無意識にであろうが「我が館ἐν ἐμοῖσι μεγάροισι」と言って、自分がオデュッセウスになりきった表現だ。いや、「になりきった」ではなく、「である」ことを図らずも明かした表現だ。


昨日はメダル獲得選手の銀座パレードがあったりして、まだロンドン五輪の余韻が残っている。

ところでこの「五輪」の由来について今回初めて知った。これまでは漠然と中国語から来ているのかなくらいに思っていた。ところが中国語のオリンピックは「奥林匹克運動会」だ。実は「五輪」は戦前東京招致が話題になっていた1936年に読売新聞記者紙面で初めて使ったものらしい。「オリンピック」は六文字なのに対して「五輪」は二文字なので見出しなど紙面作成上まことに都合がいい。各紙に瞬く間に広まり一気に定着した。[ gorin ] は [orinpikku] に通じるし、五輪がオリンピックのロゴでもある。考えて見れば、略称の傑作ではないか。