8月17日
昨日の「蛍」で一つ思い出したことがある。
「Lucciolaルッチョラ」は蛍らしいと語音だ思ったのだが、日本語の「ホタル」はそれでやはりホタルらしさを言い表している。前者は光り輝く感じだが、後者はほんのりと明るい様子だ。そこで思い出したのはいつか目にした言語学者バンヴェニストの次の一節だ。(『一般言語学の諸問題1』)
「〈bœuf 牛〉の概念(シニフィエ)は私の意識に中では〈böf〉の音声全体(シニフィアン)と必然的に一致している。どうしてそれ以外であり得よう。これら二つは私の頭の中に一緒に印刷されている。二つはあらゆる状況下で一緒に喚起される。その間にはあまりにも密接な共生関係が生じているので、〈bœuf〉の概念はさながら音声イメージ〈böf〉の魂のようだ。」
難解な一文だが言わんとしていることは直感的に分かる気がする。イタリア人の「Lucciola」と日本人の「ホタル」は、昆虫学的にどうかは分からないが、魂の世界においては別物であるようだ。
テーレマコスは予言者テオクリュメノスに、エウリュマコスという有力者の男の所に行くが良かろう、そいつは母を娶り財産も手に入れようとしている、しかしその前に禍いの日が来るかどうかはゼウスのみ知るだ、と言う。その時アポローン神の使いである鷹が右手に飛んで来て、鳩を捕まえその毛を毟る。そこで予言者テオクリュメノスは、仲間から離れたところでテーレマコス一人に言う。
Τηλέμαχ᾽, οὔ τοι ἄνευ θεοῦ ἔπτατο δεξιὸς ὄρνις
ἔγνων γάρ μιν ἐσάντα ἰδὼν οἰωνὸν ἐόντα. (15-531,2)
テーレマコスさん、鳥が右手に飛んだのは神意によらぬものではない
それをまのあたりに見て前兆を示す鳥だと悟りました
右手に飛ぶ鳥は吉兆だ。「その前に禍の日が来る」前兆であるというわけだ。
ピュロスでこのテオクリュメノスが願人として現れた時、彼は願人らしからぬ対等以上の態度だった(15-263:8月8日の項)。テーレマコスは不思議とそれに気分を害することなく受け入れたのだが、それは決定的に重要なこの鳥占をしてくれることを(無意識にではあるが)予め感じ取ってのことだったかも知れない。