8月14日
そして更に続けて、
ἀλλ᾽ ὅτε γηράσκωσι πόλιν κάτα φῦλ᾽ ἀνθρώπων, (15-409)
そしてこの郷では人間の族が年老いたときには
ἐλθὼν ἀργυρότοξος Ἀπόλλων Ἀρτέμιδι ξὺν
οἷς ἀγανοῖς βελέεσσιν ἐποιχόμενος κατέπεφνεν. (15-410,1)
銀弓のアポローンがアルテミスと一緒にやって来て
その柔らかな矢を射かけて命を奪うのです
と理想的な死に方を述べる。アルテミスの「柔らかい矢」は既に二回出て来た(5-123:3月5日の項および11-172:6月5日の項)。今日の一節こでは「長患いのない突然の穏やかな死」を理想の死に方としてはっきりと述べると同時に、それを理想郷の基本的条件として掲げている。それは『オデュッセイアー』の詩人の死生観だったのだろう。
いま死生観という言葉を使ったが、なぜ生死観といわないのだろう、生死とはいうのに。
思うに、死生観といういい方をするのは、死の方に重点があるからではないか。死に対する見方がまずあり、生も死を前提とした、死すべき人間としての生き方を考える姿勢からなのではなかろうか。
「死すべき人間」、これも『オデュッセイアー』に出てくる。
κλαίομεν ἀθάνατοί τε θεοὶ θνητοί τ᾽ ἄνθρωποι: (24-64)
我々は嘆き悲しんだ、不死なる神々も、死すべき人間も
不死なる神々に対する「死すべき人間θνητοί ἄνθρωποι」、これがホメーロスの人間認識だった。