8月9日
一方、イタケーではオデュッセウスと豚飼達が食事をしている。オデュッセウスは言う、町に出てオデュッセウスの館に行き、妃ペーネロペイアに消息を伝え、求婚者たちのもとで働こうかと思う、と。そして続ける。
「使いの神ヘルメイアースのお陰で(その神はすべての人間の仕事に美しさと誉れを与える方だ)、私は仕事において誰にも引けをとらないのです。火を熾すこと、乾いた薪を割ること、(肉を)切り分け焼くこと、酌をすること、これらおよそ貴人に対して下々がなす全ての仕事において」(15-319~24)
「火を熾すこと、乾いた薪を割ること、(肉を)切り分け焼くこと、酌をすること」、これらは使用人の基本的職分だったのだろう。
ヘルメイアースに触れた最初の二行はこうなっている。
Ἑρμείαο ἕκητι διακτόρου, ὅς ῥά τε πάντων
ἀνθρώπων ἔργοισι χάριν καὶ κῦδος ὀπάζει, (15-319,20)
使いの神ヘルメイアースのお陰で(その神はすべての
人間の仕事に美しさと誉れを与える方だ)
ヘルメイアースは「使いの神διάκτορος(>διακτόρου)」と形容されている。既にこの詩編でもゼウスの使者として登場した場面があった。オデュッセウスを引き留めているカリュプソーに、帰郷を許すべしとのゼウスの意向を伝えに行ったのだった(5-51以下:3月2~4日の項)。
ヘルメイアース神は庶民的で興味深い権能を持っている。「使いの神」としての通信、交通の権能以外にも、商業、蓄財、泥棒、詐欺など多岐に亘る。卑近な実務的分野を広くカバーしていた、だから使用人としての日常業務も司っていたのだろう。
ホメーロスの詩編はそれ自体が「ギリシア神話」を構成する重要な要素なのだが、また同時に詩編では語られない神話をも背景として詩編を創造している。ホメーロスの詩編とギリシア神話との関係は、富士山やキリマンジャロと周囲の山塊との関係にも喩えられようか。
ホメーロスを読んでいると時々背景にあるギリシア神話を参照する必要が出てくる。そんなとき先ず教えを乞うのは呉茂一の『ギリシア神話』(新潮社版)だ。これは名著だと思う。翻訳家としての呉茂一の文章は、『イーリアス』にせよ『オデュッセイアー』にせよ和装した外人のように奇妙に擬古的なところがあって、お世話にはなりながらも、今ひとつ馴染めない。しかし『ギリシア神話』の文章はそれと打ってかわって、洒脱で読んでいて楽しい。