7月31日
まだ七月なので新しい第十五歌に入るのは明日に譲ろう。今日は二三日前から気になっている点について少し考えてみたい。
それは二十八日の項で触れた「試す」についてだ。
τοῖς δ᾽ Ὀδυσεὺς μετέειπε, συβώτεω πειρητίζων, (14-459)
彼ら(豚飼達)にオデュッセウスは言った、豚飼を試そうとして
どのように試そうとしたかというと、
εἴ πώς οἱ ἐκδὺς χλαῖναν πόροι, ἤ τιν᾽ ἑταίρων
ἄλλον ἐποτρύνειεν, ἐπεί ἑο κήδετο λίην: (14-460,1)
彼が上衣を脱いで寄こしてくれるか、誰か他の仲間を
そうさせるかしてくれるかと、自分のことを心から案じてくれて
ここでπειράω(>πειρητίζων)は「(本心を、人物を)試す」の意味だろう。すると、なぜそんな必要があったのか、豚飼の心柄や人物についてはオデュッセウスは(本人としては勿論、ぼろを纏った老人としても)もう充分分かっているではないか、との疑問はどうしても出てくる。
似たような意味でπειράωが使われた例が『イーリアス』にあったのを思い出す。
一つはアガメムノーンが味方の兵士達を試す場面だ。私は皆に偽って退却を呼びかけ「試そうπειρήσομαι」、そうしたらそなた達(幹部達)はてんでに引き留めてくれ、と言う場面だ(2-73)。
もう一つは、若者に扮した神へルメイアースが老王プリアモスに向かって言う言葉の中で、続けて二回出てくる。まず、老王がヘクトールの名を出したのに対しヘルメイアースは、貴いヘクトールのことを尋ねるとは、ご老人、私を「試してますねπειρᾷ」と応える(24-390)。続いてそのすぐ後でも、プリアモスが盃を差し上げようと言うのに対して(アキレウスの部下に扮している)ヘルメイアースは、アキレウスに内緒で贈り物を受け取る様に言うとは私を「試してますねπειρᾷ」と応える(24-433)
アガメムノーンの例は「兵士達の気概を試そう、誰が勇猛で誰が逃げ腰か試そう」ということと思われる。ヘルメイアースの言の内、ヘクトールに関する方はおそらく「相手が敵か味方かを見極めるためにヘクトールへの見方を試そう」としたの意味、盃の方は「相手のアキレウスへの忠誠度を試そう」としたの意味だろう。
これらの例から何か分かるだろうか。「試す」ことが広く色々な局面で習慣や文化としてあったことは間違いないようだ。ホメーロスの世界は決して単純素朴ではない。そしてこの「試す」ことは、この詩編の随所に見え隠れする「嘘」のテーマに繋がるものがありそうなことに気づく。
しかし残念ながら、まだ最初提出の疑問解消には至らない。これは宿題としよう。