7月26日


老人に扮したオデュッセウスは、そうやって船乗り達の手を逃れそなたの家にたどり着いたのだと言う。豚飼は信じない。そして似たような根拠無い消息もどきがこれまでもあったことを話す。

「わしはといえば人里離れて豚の傍にいて町には行かない、どうかして聡明なペーネロペイア様が来るようにとおっしゃらない限りは、どこからか消息が来て。しかし人々は彼(その消息の齎し手を)を囲んで仔細に問い質すのだ、ご主人の長い不在を嘆く人達も、他人の財産をただ食いして喜んでいる連中も。しかしわしは嫌なのだ、問うたり質したりするのは、アイトーロスの男に作り話で欺されて以来。」(14-372~9)


 行方不明の貴人の消息を知っていると騙り、歓心を買おうという輩は沢山いたのだろう。不明者の家族やそれを慕う者達は怪しいと知りつつ藁にも縋るつもりで聞き、そうでない者達、特に不在を利用している連中は、高を括りつつも一抹の不安から消息が偽であることを祈りつつあれこれ質したのだろう。その光景は真心ある豚飼には堪えられないものであったことは想像に難くない。

 それにしても、「町には行かない」に続く詩行はどう受け取るべきだろうか。豚飼に妃からお呼びがかかるとは。


ἔρχομαι, εἰ μή πού τι περίφρων Πηνελόπεια

ἐλθέμεν ὀτρύνῃσιν, ὅτ᾽ ἀγγελίη ποθὲν ἔλθῃ. (14-373,4)

(町に)行く(ことはない)、どうかして聡明なペーネロペイア様が

来るようにとおっしゃらない限りは、どこからか消息が来て。


 「消息」と訳したἀγγελίηは広く「知らせ」を意味するが、後続の詩行から見て主人オデュッセウスの消息以外にあり得ない。ということは消息の真偽判定に豚飼の力を借りたいということなのだろうか。普通なら身分が違いすぎて考えられないことだ。

 あるいはこういうことだろうか。エウマイオスはこれまでの言動からも分かるとおり、主人への忠義に厚く、人に暖かく、分別にも富んでいる。妃ペーネロペイアは周囲に、あるいは欲得尽くで動く連中、あるいは気休めや迎合の得意な家来を多く抱え、信頼できる相談相手に事欠いていた事情は考えられる。それに、エウマイオスは苦労人であり世間も知っている。次の歌章では彼が他の島から売られてきた経歴も語られるはずだ。そういうエウマイオスをペーネロペイアは身分の差を超えて信頼していたのではなかろうか。そうだとすると、この詩行はペーネロペイアという人物についてある奥行きを加えることにもなりそうだ。


 今日はとてつもない猛暑。家にいるだけでも大儀なくらいだ。