7月23日


オデュッセウスの作り話は続く。リビアへの航海で難破し自分一人テスプロートイ人の国に流れ着き保護される。そこでオデュッセウスの消息を知ったと言う。


ἔνθ᾽ Ὀδυσῆος ἐγὼ πυθόμην: κεῖνος γὰρ ἔφασκε
ξεινίσαι
ἠδὲ φιλῆσαι ἰόντ᾽ ἐς πατρίδα γαῖαν, (14-321,2)

そこでオデュッセウスの事を聞きました、彼(テスプロートイの王)は言ったのです

帰国の途次立ち寄った彼(オデュッセウス)を客人として懇ろに接待したと


それではその時、オデュッセウスはどこにいたかというと


τὸν δ᾽ ἐς Δωδώνην φάτο βήμεναι, ὄφρα θεοῖο
ἐκ δρυὸς ὑψικόμοιο Διὸς βουλὴν ἐπακούσαι, (14-327,8)

彼はドードーネーに行っているとのことでした、神聖な

高く繁る檞の木からゼウスの神慮をうかがうべく


神慮というのは、帰国にあたって「公然と帰るべきか、隠密裡にすべきか」それを知るためということだった。そしてその後、自分は先に出航してしまいオデュッセウスには会わずじまいになった、と。


今日の一節で、直接会わなかった(ことにした)のは何故だろうか。単純に考えれば、直接会っとことにして、本人に帰国の意思なり予定なりを確かめたことにした方が、主人の帰還を信じようとしない豚飼に信用させるためにはよいのではないかと思う。何故そうしなかったのか。

どうもオデュッセウスの嘘や作り話には、実利や合目的性を逸脱するところがある。即ち、嘘や作り話自体を楽しんでいるところが。この一節にしても、すれ違いによって、オデュッセウスだけで成り立っているのではない世界、クレタ王の子の世界の存在がよりリアリティーを増しているように思える。オデュッセウスの嘘や作り話は詩人の技である虚構の創造に紙一重だ。