7月22日
フェニキア滞在の一年についてこういう表現がなされている。「そこで彼のもとに丸一年滞在した、
ἀλλ᾽ ὅτε δὴ μῆνές τε καὶ ἡμέραι ἐξετελεῦντο
ἄψ περιτελλομένου ἔτεος καὶ ἐπήλυθον ὧραι, (14-293,4)
しかし、月々がそして日々が尽き
年が巡るままに(尽き)、四季が訪れた時に
彼は私をリュビエー(リビア)に行く船に乗せたのです」と。
フェニキアにもリビアにも心ならずも連れて行かれたのだからあまり嬉しい場面ではないのだが、一年を表す上記二行は味わいがある。
「月々がそして日々が尽きμῆνές τε καὶ ἡμέραι ἐξετελεῦντο」には、月めくりや日めくりのカレンダーのように一月づつ一日づつ消えて行く趣がある。「年が巡るままにἄψ περιτελλομένου ἔτεος」は独立属格構文だ。この独立属格構文はいつも思うのだが、簡潔で自在で表現力豊かな構文だ。ここでも絶妙の呼吸で前の詩行に寄り添っている。そしてὧραι、これはὥρη(季節)の複数形で仮に「四季」と訳した。本当は「諸季節」とでもしておくべきかも知れない。というのは、ホメーロス世界に四季があったかどうか、気象学的にそして季感としてどうか、これを調べたいと思いつつまだ果たしていないからだ。これは宿題にしたい。
梅雨は五日程前に明けた。その後二、三日猛暑が続いたかと思ったら、ここ三日間は梅雨が戻ったかの如く肌寒く雨模様だ。そういえば最近ははっきり「梅雨明け宣言」をしない。五日前も「梅雨が明けた模様」とかなんとか言っていたようだ。「宣言」が「模様」では大幅後退だが、「空模様」というくらいだから天気は「宣言」するには無理があるのかも知れない。