7月19日


オデュッセウスはオデュッセウスがきっと帰ってくると言う。「オデュッセウスはオデュッセウスがきっと」とは奇妙な表現だが、それはこの皮肉な場面がそうさせているのだ。

だが豚飼は信じない。それよりお前のことを語ってくれと言う。それに答えてオデュッセウスは例の調子で得意の作り話を始める。自分はクレタ島の王の妾の子だ。裕福な家から嫁を迎えた、そして


εἵνεκ᾽ ἐμῆς ἀρετῆς, ἐπεὶ οὐκ ἀποφώλιος ἦα
ο
ὐδὲ φυγοπτόλεμος: νῦν δ᾽ ἤδη πάντα λέλοιπεν (14-212,3)

それは私の力の故です、と言うのは私は能なしでもなく

戦を逃げる者でもなかったからです。しかしそれらは今や全て失われてしまった


ἀλλ᾽ ἔμπης καλάμην γέ σ᾽ ὀΐομαι εἰσορόωντα
γιγνώσκειν:
ἦ γάρ με δύη ἔχει ἤλιθα πολλή. (14-214,5)

しかしながら私は思います、あなたは切り株を見て

お認めではないかと。全く私はひどく沢山の苦難にあったのでした 


いかにも過去の栄光を回顧する老人の口吻だ。オデュッセウスは老人になりきっている。「しかしそれらは今や全て失われてしまったνῦν δ᾽ ἤδη πάντα λέλοιπεν」。

そして「切り株を見て認めるκαλάμην εἰσορόων γιγνώσκειν」の表現が面白い。何を認めるのかというと、省略されているが「失われしもの」だろう。切り株もかつては枝を繁らせ花を咲かせ果実を実らせたのだった。


四日程前に梅雨が明けて以来、連日の猛暑。しかし夕刻以降少しひんやりとしてきた。一息だ。