7月16日
豚飼は主人オデュッセウスがいかに資産家であったかを示そうと、その多大の財産を数え上げる。
δώδεκ᾽ ἐν ἠπείρῳ ἀγέλαι: τόσα πώεα οἰῶν,
τόσσα συῶν συβόσια, τόσ᾽ αἰπόλια πλατέ᾽ αἰγῶν (14-100、1)
本土には十二の牛の群、同じだけの羊の群
同じだけの豚の群、同じだけの散らばった山羊の群(がいる)
βόσκουσι ξεῖνοί τε καὶ αὐτοῦ βώτορες ἄνδρες. (14-102)
(それらを)他国人や殿様の牧人達が飼っている
イタケーは島国であり、広い土地には事欠いていた。そこで本土で牧畜をするということも行われていたようだ。外国に生産拠点を持って外国人を雇うなど当時の経済活動がうかがえて面白い。グローバル企業のはしりだ。
財産として真っ先に家畜を数え上げているのは豚飼だからだという面もあるのだろう。がしかし、ホメーロスの世界にあっては、誰にとっても家畜は基本的財であったらしい。物の価値を牛で計る場面が『イーリアス』にある。グラウコスが損な交換をしたことを揶揄する詩行だ。
ὃς πρὸς Τυδεΐδην Διομήδεα τεύχε᾽ ἄμειβε
χρύσεα χαλκείων, ἑκατόμβοι᾽ ἐννεαβοίων. (6-235,6)
彼(グラウコス)はテューデウスの子ディオメーデースと武具を交換した
黄金作りのと青銅作りのとを、百牛のと九牛のとを
上で引用した『イーリアス』は、両武将が戦場で出会い一騎打ちせんとしたとき、お互いが父祖伝来の主客関係にあったことを知り、贈り物を交換して別れる場面を叙した詩行だ。この交換をグラウコスに促したのはゼウスだった。この一節について思いがけない解釈を聞いたことがある。川島重成の「グラウコスとディオメーデースの出会いにつての一考察」と題した講演だった。曰く、
「敵・味方の区別を越える、“クセニア”の誓いによるうるわしい友情を謳い上げた、この結末の感動につい耽りかねない私たちの性情をからかうかのように、詩人は視座を天上に移して、人間の振舞いをゼウスの目で見直すことを私たちに促したのである。ここにホメーロスのユーモアが窺えるのではないか。」
この解釈は大胆で面白い。ホメーロスの詩編には無限の読みの可能性がある。やはりホメーロスは端倪すべかざる詩人だ。