7月15日


豚飼エウマイオスは犬共を追っ払い、オデュッセウスを導き入れる。勿論それがオデュッセウスであることは知らない。そして言う。


σίτου καὶ οἴνοιο κορεσσάμενος κατὰ θυμόν,
ε
ἴπῃς ὁππόθεν ἐσσὶ καὶ ὁππόσα κήδε᾽ ἀνέτλης. (14-46,7)
食い物と飲み物で心を満たして

どこから来なすったか、どれだけの苦労に堪えてきたか話してくだされ


これまで初対面の相手に素姓を尋ねる場面は幾度もあったが、「どこから来たか」とか「誰か」とは聞くものの、「どれだけの苦労に堪えてきたか」との問を発した者はいなかった。この「どれだけの苦労に堪えてきたか」の言葉には豚飼エウマイオスの思いやり深いキャラクターが表れている。


ξεῖνοί τε πτωχοί τε: δόσις δ᾽ ὀλίγη τε φίλη τε
γίγνεται
ἡμετέρη: ἡ γὰρ δμώων δίκη ἐστὶν (14-58,9)

客人と物乞いとは(ゼウスの遣い)。わしらの施し物は僅かでも心尽くしの

物だ、それは下僕達の習わしというものだ


「僅かでも心尽くしの」、ここにも豚飼エウマイオスの心の丈高さがうかがえる。


「僅かでも心尽くしの」と訳したὀλίγη τε φίλη τεと(女性形、中性形の差だけで)そっくりの詩句が『イーリアス』にあった。アキレウスがアガメムノーンに対して戦利品配分の不当さを指摘するくだりだ。

σοὶ τὸ γέρας πολὺ μεῖζον, ἐγὼ δ᾽ ὀλίγον τε φίλον τε (1-167)

そなたには遥かに多くの分け前、私には僅かの大切な分け前だ

同じὀλίγον τε φίλον τε(ὀλίγη τε φίλη τε)が、『イーリアス』では戦利品の配分、『オデュッセイアー』では貧者の施し物に関して使われている。両詩編それぞれの特徴がこんなところにも出ている。

そして、こんなことはないだろうか。『オデュッセイアー』の詩人が、先行する『イーリアス』の中の詩句を『オデュッセイアー』的世界の中で使ってみたということは。それは両詩編が別人の作であることが前提かというと、そのことは必ずしも要しない。詩人が先人の作を、あるいは自分の旧作を踏まえ、本歌取りしたりパロディーを試みたりということはあり得る。こんな風に人類最古の詩人の創作心理を想像してみるのもまた興味深いことだ。