7月10日


 石舞台を実際に訪ねた時の印象は忘れがたい。そばに立つと古代巨石信仰の心が少し蘇ってくるような気がした。

 それと石舞台についてはもう一つ落とせないことがある。入江泰吉の写真だ。入江泰吉の最初期の写真集に『大和路』があり、その最終頁が石舞台だった。石舞台の上に子供達が乗り、腰掛けて足をぶらぶらさせている。写生会なのだろう、皆画板を持っている。巨石と子供との対照、過去と未来が共存が面白い。そして、子供達は埋葬された人や石を積んだ人の裔であろう、この子供達もやがて土に帰って行くであろう、そんなことまで思わせる。白黒のいい写真だった。


 アテーネーはオデュッセウスの身を窶させ、最初に訪ねるべきところを教える。


αὐτὸς δὲ πρώτιστα συβώτην εἰσαφικέσθαι,  (13-404)
あなた自身は先ず第一に豚飼のところに行きなさい


「豚飼συβώτην」登場。この豚飼こそ『オデュッセイアー』の特徴だ。『オデュッセイアー』ならではであり、高貴で痛切な『イーリアス』ではあり得ない。この豚飼のキャラクター、活躍がこの詩編を親しみやすい活気に満ちたものにしている。


ὅς τοι ὑῶν ἐπίουρος, ὁμῶς δέ τοι ἤπια οἶδε, 

παῖδά τε σὸν φιλέει καὶ ἐχέφρονα Πηνελόπειαν. (13-405,6)

彼はあなたの豚の番をしながら、あなたに変わらぬ好意を抱いています

あなたの息子をも貞淑なペーネロペイアをも大切に思っています 


405行目のἤπια οἶδε(好意を抱いています)、406行目のφιλέει(大切に思っています)はそれぞれ、「忠義を守っている」「尽くしている」と訳した方が通りはいいかもしれない。王(とその家族)と豚飼の関係なのだから。しかし実際の関係はもっと構えない親しいものであることはこれから見ることになるだろう。そのことは原詩のἤπια οἶδεもφιλέειにも現れている。両語とも平易で親しみを感じさせる言葉だ。