7月3日
そして航海を控えて最後の宴会が催される。ご馳走が出され、伶人の歌もある。
τερπόμενοι: μετὰ δέ σφιν ἐμέλπετο θεῖος ἀοιδός,
Δημόδοκος, λαοῖσι τετιμένος. αὐτὰρ Ὀδυσσεὺς (13-27,8)
(皆)楽しく(馳走に与った)、貴い伶人が彼らのために歌った
人々に尊まれる(伶人)デーモドコスが、しかしオデュッセウスは
πολλὰ πρὸς ἠέλιον κεφαλὴν τρέπε παμφανόωντα,
δῦναι ἐπειγόμενος: δὴ γὰρ μενέαινε νέεσθαι. (13-29,30)
しきりに輝く陽の方に顔を向けた
速く沈めと急かしながら、帰還に心急いていたので
「しきりに顔を向けたπολλὰ κεφαλὴν τρέπε」とか、「速く沈めと急かしながらδῦναι ἐπειγόμενος」とか、オデュッセウスの落ち着きのない挙措が目に浮かぶようだ。それはこの一行半に散りばめられた [p] 音の効果でもあるのだろう。
それとこの場面、デーモドコスがホメーロスの分身であると考えると興味深い。伶人ホメーロスの聴衆の中にも心ここにあらずの聴き手はいたのだろうから。
昨日触れたテレビ番組「大英博物館」でもう一つ面白かったのは、ギリシアとエジプトとの関係だ。ギリシアにおける彩色技術、例えば青色に関してはエジプトから学んだとか、紀元前七世紀頃からの神殿建造にはエジプトの影響が見られるとかの説が紹介されていた。エジプト文明はオリエント文明と並んでギリシアにとっては先進文明だったわけだから、それは大いにあり得る。ホメーロスが継承し集大成した口承の伝統の中にも、それらの文明の諸要素が沢山蔵されているのだろうと思う。