6月26日
セイレーンの誘惑はキルケーの忠告によってなんとか切り抜けるが、すぐさま波と煙と轟音とに襲われる。恐怖にとらわれた仲間たちをオデュッセウスはこう言って励ます。我々はいろんな苦難を経験してきた、キュクロープスの洞窟に捕らわれたときは今回に優る危機だった、
ἀλλὰ καὶ ἔνθεν ἐμῇ ἀρετῇ, βουλῇ τε νόῳ τε,
ἐκφύγομεν, καί που τῶνδε μνήσεσθαι ὀίω. (12-211,2)
そこからも私の勇気と智恵と才覚で
逃れおおせたのだ、今回のこともいつの日か思い出すことがあろうと思う
「今回のこともいつの日か思い出すことがあろうと思うκαί που τῶνδε μνήσεσθαι ὀίω」。目前の危機をそれを想起する将来の自分の視点から捉え直している。三千年近く前に吐かれた言葉とはとても思えない。近代人の内省、爛熟した文明の感覚がある。オデュッセウスの言葉には(そしてホメーロスの詩句には)時として端倪すべからざるものがある。
『オデュッセイアー』と「エジプト労働者の二日酔い」、昨日はこのあまりにかけ離れた二つが、時代的に隣り合っていたかも知れないことに興味を覚えたのだった。ところがこの二つは実はそれほどかけ離れていないのではないかとも思えてきた。というのは、うつけ者エルペーノールのことを思い出したからだ。(6月2日の項で触れた)例の酔っ払って屋根に寝、翌朝慌てて落下して死んだ若者だ。エルペーノールがトロイア遠征ではなく神殿造営にでも従事していたら、「二日酔いで欠勤」ということも大いにあり得たと思うのだ。