6月22日


 キルケーはその後に待ち受ける難所について語る。


ἔνθα δ᾽ ἐνὶ Σκύλλη ναίει δεινὸν λελακυῖα.
τ
ῆς ἦ τοι φωνὴ μὲν ὅση σκύλακος νεογιλῆς (12-85,6)

そこには不気味に唸るスキュレーが棲んでいます

その声は生まれたての仔犬ほどなのですが


γίγνεται, α
ὐτὴ δ᾽ αὖτε πέλωρ κακόν: οὐδέ κέ τίς μιν
γηθήσειεν
ἰδών, οὐδ᾽ εἰ θεὸς ἀντιάσειεν. (12-87,8)

そうなのですが、(スキュレー)自身は邪悪なる怪物、誰もそれを

見て喜ぶ者はいないでしょう、出会ったのが神だったにせよ


邪悪だというのは、頭が六つあり、必ず近くを通る船から六人をさらっていくからだ。

上記引用の四行の中で、八十六行目の「生まれたての仔犬ほど」の形容は前後の詩行からは浮いていてそぐわないように見える。どうして仔犬なのか。どうもここにはホメーロスの言葉遊びが顔を出しているようだ。即ち、元々スキュレーΣκύλλη [skyullê]の名は「肉を裂き取る、苦しめる」の意のσκύλλω [skyullô]に由来していると思われるだが、一方「仔犬σκύλαξ [skyulaks]」とも音が似ている。そこで(文脈からは少し離れるが)「声は生まれたての仔犬ほど」と言ったわけだ。


小使い室は懐かしい。いつも大きな薬罐にお湯が沸いていた。昼にはそこにお茶をもらいに行った。冬にストーブの火種をもらいに行ったのも小使い室だった。小使いさんの顔は思い出せない。無口で働き者の人だったことだけはよく覚えている。