6月13日
アガメムノーンの次に現れた亡霊はアキレウスだった。
オデュッセウスが「そなたほど幸福な者はいない、生前は神々の如く尊敬され、ここでも亡者達の中で威勢を誇っている」というと、アキレウスは応える。
μὴ δή μοι θάνατόν γε παραύδα, φαίδιμ᾽ Ὀδυσσεῦ. (11-488)
輝くオデュッセウスよ、私に向かって死の気休めなど言うな
かなり怒った口吻だ。
βουλοίμην κ᾽ ἐπάρουρος ἐὼν θητευέμεν ἄλλῳ,
ἀνδρὶ παρ᾽ ἀκλήρῳ, ᾧ μὴ βίοτος πολὺς εἴη, (11-489,90)
地上にいて他人に雇われて働いている方がよいのだ
土地も持たぬ大した財産もない他人のもとで(あろうと)
ἢ πᾶσιν νεκύεσσι καταφθιμένοισιν ἀνάσσειν. (11-491)
世を去った亡者達全てに君臨しているよりも
『オデュッセイアー』の中でも指折りの衝撃的詩行だ。
『イーリアス』であれほど武勲を求め、不名誉に怒り、死を恐れなかったアキレウスの言葉がこれだ。これは『イーリアス』の詩人と『オデュッセイアー』の詩人との間の思想の違いなのか。あるいは、地上におけるアキレウスと冥界におけるアキレウスとの思想の違いなのか。
今、『イーリアス』の詩人と『オデュッセイアー』の詩人、地上におけるアキレウスと冥界におけるアキレウスを対比した。しかしそれぞれの前者、即ち『イーリアス』の詩人そして地上におけるアキレウスの中に、生への執着が垣間見える詩行があったのではないかという気がしてきた。確かめてみると、なるほどある。
「私の命には代えられないのだ、アカイアの息子達が来る前、平和な時代の構え良きイーリオスが蔵していたといわれている限りの物も」(9-401~3)
「牛や肥えた羊は奪ってくることも出来よう、三脚鼎や栗毛の馬は購うことも出来よう、しかし人の命はひとたび歯並を越えたら、奪ってくることも購うことも出来ないのだ」(9-406~409)
いずれも『イーリアス』のアキレウスの言葉の中にある。それは「武勲を求め死を恐れない」典型的アキレウス像の蔭であまり目立たないが、紛れもなくアキレウスの一面だ。ホメーロスの詩編は性急な総括や図式では捉えがたい、底知れぬ深さを湛えているようだ。