5月30日
キルケーはオデュッセウスに、冥界に着いてからのとるべき行動につき、事細かに教える。その中に次のくだりがある。
ἔνθ᾽ ὄιν ἀρνειὸν ῥέζειν θῆλύν τε μέλαιναν
εἰς Ἔρεβος στρέψας, αὐτὸς δ᾽ ἀπονόσφι τραπέσθαι (10-257,8)
そこで牡の羊と黒い雌羊とを贄にささげなさい
幽冥の方に向けて、そして自分自身は顔を背けて(河の流れの方を見るのです)
霊力や冥界に関わる「反対を向け」の教えだ。同様の所作は『オデュッセイアー』でも既に出て来た。命拾いしたオデュッセウスが霊力あるヴェールを海に投げ返す場面(5-350)でだ。同じような教えが洋の東西を問わずあることは、その三月十二日の項でも触れた。しかしなぜ「反対を向け」とか「振り返ってはならぬ」なのか。これこそ謎だ。
「謎は謎なのだ」との山崎努の託宣はあるが、少し考えて見た。「反対を向け」とか「振り返ってはならぬ」とかはつまり「目を背けて見ない」と言うことだろう。見るということは、見る対象が神聖な物であればそれを侵すことになりかねないし、不浄な物であればそれに侵されることになりかねない。と言うのも「見る」ということは接触することとほとんど同義なのだから、と。しかしこれも山崎努いうところの「無理なこじつけ」の域を出ないかもしれぬ。