5月25日


オデュッセウスは仲間の救出に向かう。キルケーの館に到着しようとしたところで、「黄金の杖持つ」ヘルメイアース神と出会う。神からキルケーの魔薬を無効にする薬草をもらい、いかに行動すべきかの智恵を授かる。

オデュッセウスを迎えたキルケーは仲間達と同様豚にしようとするが、オデュッセウスはヘルメイアース神の忠告に従って切り抜け、逆にキルケーに襲いかかる。そこでキルケーはこう言う。


ἦ σύ γ᾽ Ὀδυσσεύς ἐσσι πολύτροπος, ὅν τέ μοι αἰεὶ
φάσκεν
ἐλεύσεσθαι χρυσόρραπις ἀργεϊφόντης,  (10-300,1)

きっとあなたは知謀に長けたオデュッセウスなのでしょう、その人が来ると私に

黄金の杖持つアルゴス殺し(のヘルメイアース神)がいつも話していたのです


面白い。運命が定められていてその通りのことが起こる。そしてそれが予言されている。

 引用しそびれたが、キュクロープスの巨人(ポリュペーモス)のところでも同様の一節があった。オデュッセウスの名乗りをきいた時のポリュペーモスの述懐だ。


「(占い師の)そいつは、これらのことは後にすべて起こるだろうと言ったのだった、すなわちオデュッセウスの手によって視力を奪われると。しかし、俺はずっと、大きな立派な男が強大な力を備えてやって来るものと待ち受けていた。ところが今、ちっぽけでつまらぬ弱い奴が俺の目を潰したのだ、酒に酔わせて」(9-511~6)


 運命が定められていてその通りのことが起こる。そしてそれが予言されている。この点はキルケーの場合と全く同じだ。大きく違うのは、ポリュペーモスの場合は名前を知らなかった、キルケーの場合は名前を聞いていたところだ。ポリュペーモスの挿話は名前を知らなかったことが重要な意味を持っていた。キルケーの場合は逆に本人の名乗りを待たずして名前を言い当てている。「名前」もこの詩編のテーマの一つであるようだ。


 もう一つ興味深いのは、ポリュペーモスにせよキルケーにせよ、以前予言を聞いていたということは、背景に物語に語られないポリュペーモスの人生なりキルケーの人生なりがあったと想像させるところだ。「人生」というのがおかしければ「運命」と言い換えよう。ポリュペーモスもキルケーも『オデュッセイアー』の単なる道具立てではない。オデュッセウスが来る前も、そしておそらくは去った後も彼らの運命を生きたのだと思わせられる。

 『オデュッセイアー』のこのような特徴が、この詩編に開かれた作品であるとの印象を与え、ひいては多くの後進に続編やパロディーを書いてみたいとの気を起こさせて来たのだろう。