5月23日
島内偵察に向かった一隊は、キルケーの館の前に来る。そこには狼や獅子がいる。
οὐδ᾽ οἵ γ᾽ ὡρμήθησαν ἐπ᾽ ἀνδράσιν, ἀλλ᾽ ἄρα τοί γε
οὐρῇσιν μακρῇσι περισσαίνοντες ἀνέσταν. (10-214,5)
しかし、それら(の獣)は人に飛びかかりもせず、ただ
大きな尻尾を振り動かして立っている
その様は
ὡς δ᾽ ὅτ᾽ ἂν ἀμφὶ ἄνακτα κύνες δαίτηθεν ἰόντα
σαίνωσ᾽, αἰεὶ γάρ τε φέρει μειλίγματα θυμοῦ, (10-216,7)
あたかも犬達が宴会帰りの主人のまわりで
尻尾を振るように、(主人が)いつも嬉しい好物を持ってきてくれるので
この比喩からは『オデュッセイアー』の詩人の犬好きな一面が窺える。
上記四行中、σαίνω「尻尾を振る」という語がπερισσαίνοντεςとσαίνωσ᾽の形で二回出ている。σαίνωは『オデュッセイアー』では他の箇所でも何回か出てくるが、『イーリアス』には一回もない。『イーリアス』に犬が登場しないわけではない。『イーリアス』においては犬は尻尾を振るような動物ではないのだ。ただ、この事実をもって両詩編の作者が別人であることの証左とするのは軽率に過ぎるのだろう。この点はヘレネ-像に関連して既に触れた(2月16日の項)が、同じ作者が別の作品で異なる思想や嗜好を表現することはありうるのだから。
このσαίνωという単語を辞書で見ると「尻尾を振る」の語義のあとに「へつらう」がある。ホメーロス以降に加わったニュアンスのようだが、日本語の「尻尾を振る」に含まれる「媚びへつらう」のニュアンスが思い合わせられる。この点では古代ギリシア人と日本人は(というより、古代ギリシア犬と日本犬は、というべきか)共通だ。