5月12日
巨人は仲間に助けを求める。叫びを聞いて集まってきたキュクロープス達は訊ねる。「誰かが悪企みか暴力でお前を殺そうとでもしているのか」と。それに対する巨人の答えがこれだ。
ὦ φίλοι, Οὖτίς με κτείνει δόλῳ οὐδὲ βίηφιν. (9-408)
おお仲間達よ、暴力でなく悪企みで俺を殺そうとしているのは「誰もおらぬΟὖτίς」よ
これを聞いたキュクロープス達は、「独りでいるお前に乱暴するものが誰もおらぬとすれば(定めし病気であろう)、宏大なゼウス病気はどうにも避けようがないから親父のポセイダーオーンにでも祈るのだな」と言い置いて帰ってしまう。
策略、見事成功である。オデュッセウスは「心の中で高笑いするἐγέλασσε φίλον κῆρ」(413行)。
実に面白いエピソードだ。その焦点となっているΟὖτίςについて、松平訳では「誰もおらぬ」、呉訳では「駄礼毛志内」となっていることは昨日触れた。英仏訳でどうか見てみると、Loeb版英訳は“Noman”、Budé版仏訳は“Personne”となっている。
ちなみに上記408行をどう訳しているか、四者並べてみよう。
「おい仲間達、わしを欺して殺すとは、駄礼毛志内よ、暴力でもな」(呉)
「ああ皆の衆、暴力ではなく,企みで俺を殺そうという奴はなあ、「誰もおらぬ」(の)だ」(松平)
「My friend, it is Noman that is slaing me by guile and not by force. 」(Loeb)
「La ruse, mes amis! La ruse! Et non la force ... et qui me tue ? Personne !」(Budé)
こうして比べてみると、Loeb訳がもっとも自然で原文にも近いようだ。