5月10日


さて、オデュッセウスは言葉巧みに携えてきた酒を巨人に勧める。それを飲み、いい気分になった巨人はオデュッセウスに「お前の名はなんというか」と問う。それに対する応えがこうだ。


Οὖτις ἐμοί γ᾽ ὄνομα: Οὖτιν δέ με κικλήσκουσι
μήτηρ
ἠδὲ πατὴρ ἠδ᾽ ἄλλοι πάντες ἑταῖροι. (9-366,7)

私の名は「誰もおらぬ」です。「誰もおらぬ」と私を呼んでいました

母親も父親も他の仲間達みんなも


面白い。「誰もおらぬΟὖτις」という名前とは。いくつもの意味で面白い。

 先ず、名前とは誰かがいることの証であるはずのものだが、それが「誰もおらぬΟὖτις」であるという諧謔だ。

 そして、しばらくしてその効果が明らかとなる危険を避ける悪智恵としても出色だ。

 更に、これがこの詩編の一貫した主題である「誰か」の問いに対する主人公オデュッセウス自身の答であることは、作品手法としても興味深い。

 そして最後に、「誰もおらぬΟὖτις」という名前の持つ哲学的命題としての意味合いだ。仮に哲学的といったが、様々な捉え方がありそうでいて捉えようがない、しかし色々なことを考えさせられる、そんな命題だ。「汝自身を知れ」の神託も思い合わせられる。


 今日も雷が鳴っていた。

  遠雷の誰だ誰だと鳴りにけり 拙作