5月1日
玄関前に斜面がある。出て行くとき、そこの植え込みの紅白のツツジが鮮やかに目に迫ってくる。
それを通りがかりの英国人とおぼしき外人が写真に撮っていた、ヨーロッパにはないといって。確かにヨーロッパでは、旅行中も映像でも、見た記憶がない。調べてみたら日本原産で、江戸時代にヨーロッパに渡ったが鉢植えが主だという。
日本では万葉時代からあったようだ。
水伝ふ 磯の浦廻の 石上つつじ 茂く開く道を またも見むかも(185)
みなつたふ いそのうらみの いそつつじ もくさくみちを またもみむかも
今日から第九歌に入る。
アルキノオス王に問われたオデュッセウスは身分を明かす。
εἴμ᾽ Ὀδυσεὺς Λαερτιάδης, ὃς πᾶσι δόλοισιν
ἀνθρώποισι μέλω, καί μευ κλέος οὐρανὸν ἵκει. (8-19,20)
私はラーエルテースの子オデュッセウスです、あらゆる術策で
世の人に知られた(オデュッセウスです)、私の名声は天にも届いています
「私はオデュッセウスですεἴμ᾽ Ὀδυσεὺς」。ついに名乗った。これまで何回か宴会が催されたし、王妃に問われたこともあった(第7歌238行)のだが、名乗るのは初めてだ。アルキノオス王の国に来てからだけではなくこの詩編が始まってから第八歌まで、「εἴμ᾽ Ὀδυσεὺς」の語はなかった。詩編の三分の一が過ぎてようやく名乗ったことになる。
身分を隠したり、偽ったり、問われたり、気付かれたり、名乗ったり、名乗っても信じてもらえなかったり、「誰か」のテーマは詩編で繰り返し現れる。この場面もデーモドコスの歌の後だけに劇的な名乗りとなっている。
もう一つ面白いのは、「あらゆる術策で世の人に知られた」だ。自他共に認める、といったところか。たった今聴いたばかりの木馬の計略をうけているのかも知れない。
それにしても「私の名声は天にも届いています」は、そこまで言うかという気がする。謙譲の美徳などは無縁といった口振りだ。