4月30日
伶人(すなわちそれは詩編の作者ということにもなる)は木馬の計略の段を、その発端からトロイア陥落まで、わずか二十行で歌うのだが、その要約の手際は鮮やかだ。
それを聞いてオデュッセウスは嗚咽する。そこで比喩がくる。嗚咽するオデュッセウスが、戦いで斃された夫を前に泣くじゃくる女に喩えられる。
ἡ μὲν τὸν θνήσκοντα καὶ ἀσπαίροντα ἰδοῦσα
ἀμφ᾽ αὐτῷ χυμένη λίγα κωκύει: οἱ δέ τ᾽ ὄπισθε (8-526,7)
女は死に行く喘ぐ夫を見て
その上に倒れ伏し泣きじゃくる、敵の者達はその後ろから
κόπτοντες δούρεσσι μετάφρενον ἠδὲ καὶ ὤμους
εἴρερον εἰσανάγουσι, πόνον τ᾽ ἐχέμεν καὶ ὀιζύν: (8-528,9)
槍で(女の)背中や肩を小突き
隷従の境涯へと引き立てて行く、苦しみと嘆きの(境涯へと)
この比喩は一見そぐわないように見える。夫を殺され隷従の日々を前にした女の涙と過去の苦しい体験を思い出した男の涙とでは、大分色合いが違うだろうから。その上、不条理にも見える。実はオデュッセウスはトロイアの女達に、この比喩の中の女の涙と同じものを流させたに違いないのだから。
そういう意味ではこの比喩はそぐわないもの、不条理なものを含んでいる。しかし、もう一つ高い次元から見ると、この比喩には真実があるのかも知れない。悲しみや苦しみ、涙を逃れられる者はいない。そこには敗者も勝者もない。人間は皆涙する動物である、それはこの詩人の奥底にある思想だったようだ。
オデュッセウスの嗚咽を見たアルキノオス王は「名は何とおっしゃるか」と聞く。聞きさした状態で第八歌末尾となる。このような終わり方は珍しい。普通は睡りについた時とか、場面が変わるときだった。詩編編集上の都合か、あるいは「次回をお楽しみに」という手法なのか。