4月25日
昨日「嘘」に関連してアキレウスとオデュッセウスをちょっと比較したが、ひとつ書き漏らしたことがある。「嘘」に対する両者の立場の対照がうかがえる『イーリアス』の一節だ。
アキレウスはアガメムノーンの横暴に怒り戦線を離脱していた。オデュッセウスはアガメムノーン意をうけて、和解使節の一員としてアキレウスのもとを訪れ、復帰を促す。それを拒否するアキレウスの応えの一節にこうある。
「あいつ(アガメムノーン)は俺にとっては冥界の門と同じくらい嫌いだ、そいつは胸に何かを隠しながら何か別のことを言うのだ」(9-312,3)
嘘が嫌いなアキレウスらしい言葉だ。と同時に嘘が好きなオデュッセウスに対する当てこすりでもあるかも知れない。言われたオデュッセウスは内心ドキッとしたに違いない。
と考えて、実はこの項を書き出したのだが、今思い直した。やはりそれはアキレウスらしくないのではないか。「胸に何かを隠しながら何か別のことを言う」ことを嫌うアキレウスが、そのような当てこすりするのは自己矛盾だ。ただ、アキレウスのその意図がなかったにせよ、頭の回転の速いオデュッセウスのことだ、ドキッとしたということはあり得る。
伶人の歌が終わると、アルキノオス王は先刻オデュッセウスに対して無礼な言葉を吐いたエウリュアロスに対し、詫びるようにと言う。エウリュアロスはそれに従ってオデュッセウスに向かってこう言う。
χαῖρε, πάτερ ὦ ξεῖνε: ἔπος δ᾽ εἴ πέρ τι βέβακται
δεινόν, ἄφαρ τὸ φέροιεν ἀναρπάξασαι ἄελλαι (8-408,9)
客人よ、ご機嫌麗しゅう、もし何か怪しからぬ言葉が発せられたとしたなら
すぐにも風が掴んでさらっていってくれますように
これで充分詫びているのであるらしい。というのも、この言葉をオデュッセウスは受け入れているから。
しかし、少なくとも日本人から見ると本心謝っているのかどうかよく分からない、心がこもっていないように見える言葉だ。というのも「言葉が発せられたとしたなら」と言葉ἔποςが主語となっていてまるで他人事だからだ。呉訳「もし私が何か無礼な言葉を吐いたとしたら」、松平訳「失礼なことを申し上げたとすれば」、共にエウリュアロス自身を主語にしている。言葉自身が主語ではあまりに他人事過ぎると思ったのだろう。
更に、「風が掴んでさらっていってくれますように」というのも他人任せだ。「撤回します」とか「ご容赦ください」とか言いそうなものだが。
しかし『イーリアス』にも同様の表現がある。アガメムノーンが相手を怒らせた自分の言葉についてこう言っている。
「もし何か悪いことが言われたなら後々埋め合わせをすることしよう。それらのことは神々がなかったことにしてくださいますように」(4-362,3)
こちらの方は「後々埋め合わせをすることにしよう」といっているからまだましだが、それにしても「悪いことが言われたのなら」の他人事ぶり、「神々云々」の他人任せぶりは同様だ。
これらを見るとどうも、「過ち」やそれについての「詫び」に対する考え方に我々とは違ったホメーロス世界独特のものがあるらしい。この問題については更に考えたい。