4月24日


 野球用語にもあまり品のよくない例がある。「盗む」とか「隠し球」とか「偽投」とか「故意(落球)」とか。

 囲碁にせよ野球にせよすべて競技においては、その淵源は戦いであろうから、攻防の秘術を尽くすに当たって格調とか品性とかに顧慮する暇はないのだろう。投球術なども「裏をかく」ことなしには成り立たない。

 そこで思い当たるのは例の「オデュッセウスの嘘」だ。アキレウスは直情径行、武の英雄だった。オデュッセウスは武に秀でてもいたがそれ以上に術策において傑出していた。その術策の才は戦いの場のみならず、あらゆる人事交渉の場面で発揮された。「嘘」はその典型的な現れだ。しかもその嘘は、時に行き過ぎ、ゲーム感覚で吐かれたことはなかっただろうか。まるで競技を楽しむように。


捕らえられた二神を見て野次馬の男神達は言い交わす。


οὐκ ἀρετᾷ κακὰ ἔργα: κιχάνει τοι βραδὺς ὠκύν (8-329)

悪事は栄えず、のろま韋駄天を捕らう


のろま(βραδὺς)と韋駄天(ὠκύν)を逆説的に対比させ、格言風の詩行。

ポセイダーオーンから「アレースを放してやれ、私が償いをさせるから」と言われてへーパイストスは応える。


δειλαί τοι δειλῶν γε καὶ ἐγγύαι ἐγγυάασθαι. (8-351)

駄目な奴の保証は保証が駄目だ


 ちょっとわかりにくい言い回しで、古来いくつかの解釈がある。「アレースのような駄目な奴に対してなされる保証は保証すること自体が駄目(意味がないこと)になる」という解釈がいいようだ。

δειλαί (駄目だ) とδειλῶν(駄目な奴の)、 ἐγγύαι(保証) とἐγγυάασθαι(保証すること)を繰り返していてこれも格言風。

このような格言風の詩行は、かえって場面の諧謔味を増していることに気付く。