4月20日


踊りが始まる。その踊り手達の足捌きにはオデュッセウスも目を見張る。


πέπληγον δὲ χορὸν θεῖον ποσίν. αὐτὰρ Ὀδυσσεὺς
μαρμαρυγ
ὰς θηεῖτο ποδῶν, θαύμαζε δὲ θυμῷ. (8-264,5)

(踊り手達が)美しい踊り場を足で踏み鳴らすと、オデュッセウスは

足の素早い動きに見入り、心に感嘆した


「素早い動き」と訳したμαρμαρυγὰςはμαρ(煌めく)という語根から来ている。目くるめくほどの見事な足捌きなのだろう。

このμαρμαρυγὰςという単語の意味を仮に知らなくとも、その [marmaryugas]という音は「煌めき」や「目くるめくほどの素早さ」を感じさせるのではなかろうか。[marmaryugas] は勿論聴覚の世界にあるのだが、それが視覚世界の現象までを髣髴させるわけだ。詩句が持つ音が、何故か視覚や味覚や嗅覚、時として触覚まで喚起するように感じる、これもホメーロスの詩編を読んでいてしばしば遭遇する謎だ。


踊りの次には伶人の歌だ。伝令が館から竪琴を取ってきて渡すと、伶人はそれを爪弾きながら歌い始める。そこで歌われるのは物語の中の物語だ。


沖縄は『オデュッセイアー』の世界に似ている。

先ず「海の国」だし、歌があり、踊りがあり、弦楽器がある。それに宴会好きだ。織物もある。占い師(ユタ)もいる。まだ他にも共通点はあるかも知れない。

叙事詩についてはホメーロスの詩編に比べられるものは残念ながらない。しかし、叙情詩に目を転じてみると、琉歌から現代歌謡に至るまで愛惜措くあたわざるものが多々ある。