4月19日


 怒って競技での戦いを挑むオデュッセウスに対し、アルキノオス王は「お怒りはごもっとも」と宥め、しかし我々の得意な技も観てもらいたいと言って、踊り手達にこう呼びかける。


παίσατε, ὥς χ᾽ ὁ ξεῖνος ἐνίσπῃ οἷσι φίλοισιν
ο
ἴκαδε νοστήσας, ὅσσον περιγιγνόμεθ᾽ ἄλλων (8-251,2)

踊ってくれ、この客人が親しい方々に語られるように

故郷に帰ったときに、我々がどれほど優っているかを


船の技、足の速さ、そして踊りと歌において、と。

 アルキノオスはこの土産話のことをしきりに言う。

館から競技の場へ出るとき(101、2行目)では、上記引用とほぼ同文、ただ「踊ってくれπαίσατε」の代わりに「あらゆる種目のπάντων(競技をしようではないか)」としていただけで、続く「この客人が」以下は同一詩句だった。

 すぐ前の241行目以下でも

 「しかしまあ私の言うことも聞いていただきたい、家で奥方や御子達と食事されるときに、我々の優れた技を思い出されて他の殿様にお話しになるように」

とあった。

どうしてアルキノオスは、これほど故郷に帰ってからの話に気を遣うのか。

 一つには、「土産」話が贈り物と並んで重要な歓待の手段だったからだろう。それともう一つ、語られること、名声への思いがあるのではないか。勇士にとって武勲が誉れであるように、王にとっては自国でのよき思い出を旅行譚として語ってもらうことが誉れであったのではなかろうか。


 昨日よしやの琉歌を引用した。琉歌は八八八六の三十文字からなっている。大和和歌の五七五七七、三十一文字に慣れた我々にはそのリズムがよくつかめない。

 昭和39年に沖縄タイムス社から出た島袋盛敏著の「琉歌大観」という書がある。琉歌二千数百首を集め「語意」「歌意」「解説」を施した大著だ。「語意」「歌意」は痒いところに手が届くように親切だし、「解説」は悠揚迫らざる風格とユーモアを兼ね備えていて、拾い読みしていて楽しい。その書に付録で琉歌を吹き込んだソノシートが付いていて、それを聴いたことがある。淡淡とした朗読風と少し抑揚をつけた朗詠風と三線にのせた歌謡風の三種だ。しかしいずれもそのリズムがつかめなかった。ホメーロスに六脚詩律があり大和に七五調があるように琉球に八八八六調がある。言語それぞれに固有のリズムがあるのだろうか。