4月13日


ホメーロスの詩行さながら船の準備がテンポ良く整い、「素早く」食事に取りかかる。

その宴席に伶人が招かれる。


τὸν πέρι μοῦσ᾽ ἐφίλησε, δίδου δ᾽ ἀγαθόν τε κακόν τε:
ὀφθαλμῶν μὲν ἄμερσε, δίδου δ᾽ ἡδεῖαν ἀοιδήν (8-63,4)

その彼を詩神ムーサはとりわけ愛し、良きことと悪しきこととを与えたもうた

両眼を盲にし、甘美な歌を与えたもうたのだ


盲目と口承詩の関係は深い。琵琶法師、瞽女の例もある。盲目であっても伶人であるというべきか、盲目だからこそ伶人であると言うべきか、それとも、盲目であろうとなかろうと伶人は伶人というべきか。いずれも幾分の真理を含んでいるのだろう。しかし韻律や音調が生命である口承詩の場合、聴覚がものをいう。盲故に耳が研ぎ澄まされることはある。この二行にはホメーロスその人の自画像が垣間見える。


κὰδ δ᾽ ἐκ πασσαλόφι κρέμασεν φόρμιγγα λίγειαν
α
ὐτοῦ ὑπὲρ κεφαλῆς καὶ ἐπέφραδε χερσὶν ἑλέσθαι (8-67,8)

(伝令は)音高き竪琴を彼の頭上の釘から釣り下げ

手で取り下ろすようにと言った


詩行によって、伴奏を入れるときと入れない時があるのだろうか。あるいはすぐ後で、「心が望むときに飲むようにと葡萄酒を注いだ杯を傍らに置いた」とあるから、酒を飲んだりする時は釘に掛けておき、吟唱の時に自ら取り下ろすようにしているのかも知れない。興味深いところだ。いずれにせよ、ここにもホメーロス自身の経験の断片が反映しているのに違いない。


北朝鮮のミサイル発射は失敗と聞いた。少し気がかりだったが先ずは一安心。

壺屋のやちむん(焼物)通り。壷屋焼きは重くてごつく、洗練されていない。だが沖縄独特の物、例えば「だち(抱)瓶」とか「からから」は壷屋焼き以外は考えられない。「だち瓶」は沖縄風スキットルだ。「からから」は無造作につかんで泡盛を注ぐ時、しっかりと手に馴染んで心地よい。ホメーロスなら「παλάμηφιν ἀρήρει [paramêphin arêrei] 掌にぴったりとはまった」と言うところだろう。ホメーロスの場合はつかむのは「からから」ではなく槍だが。

店番はほとんどがオバアだ。しかし一店だけ、若い男がいた。無愛想でどことなくダルビッシュに似た男だ。壷屋焼き特有の紋様や色合いの話をしているとだんだん熱を帯びて来る。何者だろうと思っていると、店の奥の自分の制作中の作品をカバーをとって見せてくれた。未完成の彫りの深い大きな龍だった。完成時にまた是非見てみたい。