4月10日
娘を賞められて父たる王は嬉しいはずなのだが満足しない。庇護を求められて一緒にお連れしなかったのはまだ思慮が足りなかった、と言って。これに対するオデュッセウスの応えはこうだ。
ἀλλ᾽ ἐγὼ οὐκ ἔθελον δείσας αἰσχυνόμενός τε,
μή πως καὶ σοὶ θυμὸς ἐπισκύσσαιτο ἰδόντι: (7-305,6)
いえ私の方が恐れ憚ってそう望んだのです
あなた様がご覧になってお怒りになりはしないかと
なぜならというに
δύσζηλοι γάρ τ᾽ εἰμὲν ἐπὶ χθονὶ φῦλ᾽ ἀνθρώπων. (7-307)
地上に住む我々人間は怒りやすいものですから
この一節には二つの問題がある。
先ず、町外れで別れたのはナウシカアーの指示であったのだから、オデュッセウスは嘘をついている。なぜか。
もう一つは、怒るのが町の人ではなく「あなた様」となっている。なぜか。
一つ目の方は、「ナウシカアーを庇うために咄嗟に出た嘘だ」と一応は説明できる。しかし、すぐバレはしないか、ナウシカアーが悪い噂の懸念を抱いたことをありのまま述べて不都合はないのではないか、との疑問は残る。
二つ目の方はもっと解き難い。「あなた様」を持ち出す方がいい理由があるのだろうか。307行目で人間一般の性向としているとはいえ「あなた様」が「怒りっぽい」こともなりかねない。仮に自分が慮ったことにするにせよ、町の人の目のことにしておいた方が無難だと思うのだが。しかも「怒りやすい」と訳したδύσζηλοιには「嫉妬する、羨む」のニュアンスもあるのだからなおさらだ。
これからもオデュッセウスの嘘は沢山出てくるはずだ。それらの中にはどうも、この一節の嘘のように、その目的や効果が測りがたいものがあるような気がする。ひょっとしたらオデュッセウスにとって嘘は必ずしも実用的、合目的的なものでなく、嘘をつくこと自体が自己目的化しているのではないかとさえ思えることがある。それはオデュッセウスの性格なのか、趣味なのか、生き甲斐なのか。
そもそもホメーロスの世界において嘘は悪いことなのか。ホメーロスの詩編で真実が重んじられていることは間違いない。しかし嘘を徹底して悪いこととする倫理もうかがえない。神々は平気で嘘をつく。オデュッセウスもそうだ。あるいはそれは、嘘が人間の「真実の」本性の一端であることを示しているのかも知れない。嘘は人間が生きていくために必須の術である、丁度昆虫の擬態のように、と。