3月28日
口さがない連中にたたかれるであろう陰口としてナウシカアーは次のような例を挙げる。
βέλτερον, εἰ καὐτή περ ἐποιχομένη πόσιν εὗρεν
ἄλλοθεν: ἦ γὰρ τούσδε γ᾽ ἀτιμάζει κατὰ δῆμον (6-282,3)
よいことだろうさ、自分が出かけていって夫を
よそから見つけて来るなら、国中の人達を蔑んでいるのだから
「よいことだろうさβέλτερον」は陰口特有の僻みの口調だ。こういうところは古今東西共通であるらしい。
そしてオデュッセウスに、町の外にある父の荘園で留まっているようにと言う。その場所は、
τόσσον ἀπὸ πτόλιος, ὅσσον τε γέγωνε βοήσας. (6-294)
町からは、叫んで丁度その声が聞こえるくらい、そのくらいの距離です
これは一種の度量衡だが、この長さの単位には実際にそのように叫んだ経験と記憶が生きているようだ。
ホメーロスの詩編に出てくる度量衡は面白い。度量衡の誕生時の生の感覚が息づいている。
「(道の)長さは男が力を試そうとして放つ槍の距離くらいもあった」(『イーリアス』15-358,9)
「(先頭の走者に追いすがる次の走者は)さながら糸巻きを経糸の間に潜らせていくとき、帯美しい女の胸に機織棹がうまくたぐられて近づく、そして胸の近くに支えられる、そのように間近に迫った」(同23-760~3)
こういう風に引用してみると、度量衡の誕生時の姿は比喩に他ならないことがよく分かる。