3月27日
ナウシカアーは町の様子の説明の中で、美しい港の近くには引き上げられた沢山の船があること、広場には船具の制作に余念のない人々がいることを言う。そして、
οὐ γὰρ Φαιήκεσσι μέλει βιὸς οὐδὲ φαρέτρη,
ἀλλ᾽ ἱστοὶ καὶ ἐρετμὰ νεῶν καὶ νῆες ἐῖσαι, (6-270,1)
というのもパイエーケス人達にとって弓や矢筒のことは関心なく
(関心があるのは)帆柱と櫂と均整のとれた船だけなのです
弓箭の技は無縁、生業である船の技にいそしむ平和郷なのだろう。
しかしながら、
τῶν ἀλεείνω φῆμιν ἀδευκέα, μή τις ὀπίσσω
μωμεύῃ: μάλα δ᾽ εἰσὶν ὑπερφίαλοι κατὰ δῆμον (6-273,4)
その人たちの悪い噂を避けたいのです、誰か後で
陰口をきくやも知れません。人々の中には随分思い上がった者もいますので
平和郷とは言いながら、口さがない連中には事欠かないと見える。
ようやく春らしい天気。桜の蕾が枝一杯に力をためて今にも開かんとしている。こういう様子を見ていると、春は「張る」から来ているとする語源説に与したくなる。
ホメーロスにおいて春はεῖαρだ。春以外に朝の意もある。このεῖαρは辞書によると「照らす」の意のサンスクリット語に関連があるとされている。とすると日本語の春のもう一つの語源説「晴る」に近いことになる。