3月25日


ナウシカアーはオデュッセウスを人品卑しからぬ者と見て取り、加えて嘆願者保護の気持ちもあって、侍女達に世話するようにと指示する。そこで沐浴の世話についてちょっとしたやりとりがなされる。


先ず、ナウシカアーの指示。

λούσατέ τ᾽ ἐν ποταμῷ, ὅθ᾽ ἐπὶ σκέπας ἔστ᾽ ἀνέμοιο. (6-210)

河で沐浴させて差し上げなさい、風の当たらぬ場所で


その場所に行った時、オデュッセウスは「離れていてください」と言い、こう続ける。

ἄντην δ᾽ οὐκ ἂν ἐγώ γε λοέσσομαι: αἰδέομαι γὰρ
γυμνο
ῦσθαι κούρῃσιν ἐυπλοκάμοισι μετελθών. (6-221,2)

(皆さんの)目の前では沐浴できません、憚られますので

髪良き乙女達のいるところで裸になることは


そこで侍女達は

ὣς ἔφαθ᾽, αἱ δ᾽ ἀπάνευθεν ἴσαν, εἶπον δ᾽ ἄρα κούρῃ. (6-223)

彼がこう言うと彼女たちはその場を離れ、王女に(その次第を)告げた


男の沐浴の世話を女性がする場面はホメーロスでは何回か出てくる。老女の場合もあるが娘の場合もある。したがって、本来オデュッセウスが憚る理由はないのだが、ここではなぜか憚っている。おそらくはナウシカアーの好意に感謝しつつも、嘆願者の分際であまりに厚かましいという躊躇があったものと見える。

最後の「王女に告げたεἶπον δ᾽ ἄρα κούρῃ」は、指示に従えなかった侍女達の王女に対する(申し訳ない、叱られはすまいか、事情を説明せねばといった)微妙な心が、簡潔な数語のうちにうかがえて面白い。


今日テレビを見ていて不思議なことがあった。全く関係のない二つの番組で石組みの事を紹介していたのだ。

一つは穴太(あのう、歴史的仮名遣いではあなふ)。穴太というのは石を加工せずに自然石を巧みに積み上げる技能を持った集団だ。京都や滋賀に本拠があって城などの石垣造りに活躍した。安土桃山時代からとも縄文からつながっている技術とも言う。確かにその石組みは自然な中にリズムがあり美しい。「あなふ」などということばの響きからすると、縄文時代からとの説もあながちない話ではない気がする。

もう一つは八丁味噌の味噌作りの紹介で、味噌を漬けるときに巨大な樽の上に自然石を積む。大小何十個か、これも見事に円錐形に積み上げていた。そのこつを職人は「石の顔を見ること」と言っていた。

そこで思い当たったのは穴太衆にも「石の声を聴け」という言い伝えがあることだ。同日の別の番組で期せずして石組を取り上げていたのは偶然だろうが、この「石の顔を見る」と「石の声を聴く」は単なる偶然ではあるまい。

ことばで作られる詩についても同様のことがある。ことばはいわば自然石だ。それを用いてこれ以外あり得ない組み合わせを作り上げる。詩人はことばの「顔を見」「声を聴く」人なのだろう。