3月17日


 吉本隆明死去。私はあまりよい読者ではなかったが、それでも大きな存在だった。彼の講演は録音でいくつか聞いた。ちょっと吃りながら、木訥で率直な口ぶりがよい。特に漱石や賢治を語った講演は興味深いものだった。


 オデュッセウスは上陸を果たした。次なる問題はどこで夜を過ごすかだ。茂みに入って休むことにする。

ἐν δ᾽ ἄρα μέσσῃ λέκτο, χύσιν δ᾽ ἐπεχεύατο φύλλων.
ὡς δ᾽ ὅτε τις δαλὸν σποδιῇ ἐνέκρυψε μελαίνῃ (5-487,8)

その中で横たわり、積もった木の葉を身に振りかけた

あたかも人が榾(ほだ)を黒い灰で隠す時のように


木の葉を灰に喩え、オデュッセウスの命の灯を榾が保っている火の気に喩えている。葉を振りかけるオデュッセウスの手つきまで浮かんできそうな比喩だ。

 比喩は続く。


ἀγροῦ ἐπ᾽ ἐσχατιῆς, ᾧ μὴ πάρα γείτονες ἄλλοι,
σπέρμα πυρ
ὸς σώζων, ἵνα μή ποθεν ἄλλοθεν αὔοι, (5-489,90)

その人は野のはずれに住んでいて、まわりに他に人がいないのだ、

(それで)火の種を保とうとする、どこかよそに火を借りなくて済むようにと


 火を新たにおこすのは大変なことだったのだ。これはつい一世紀ほど前まで日本でも見られたことだ。それで隣に火を借りに行くというようなこともあったのだ。

 もっとも「火を借りる」というだけなら、今でもタバコの火の貸し借りに生きている。そして面白いのは、たいていは実に自然に、率直さとさりげなさをもってその貸し借りが成立していることだ。そこには何か、連帯感か同志意識さえ感じられることがある。