2月25日


息子テーレマコスの旅、そして求婚者達のその帰路待伏せ計画を聞いたペーネロペイアは、


δὴν δέ μιν ἀμφασίη ἐπέων λάβε: τὼ δέ οἱ ὄσσε
δακρυόφι πλ
ῆσθεν, θαλερὴ δέ οἱ ἔσχετο φωνή (4-704,5)

長い間ことばを使うことはかなわず、両目には

涙を一杯にため、豊かな声もつまって出すことができなかった


訳ではペーネロペイアを主語としたが、原詩では物事が主語だ。すなわち直訳すると、「長い間ことばの欠如が彼女を捉え、彼女にとって目は涙で一杯になり、彼女にとって豊かな声はとどめられた」となる。極めてホメーロス的な詩行だ。すでに一度似た例が出てきたが、物事や身体の部分を主語にして人を目的語にしその意識を背景に押しやることをホメーロスはよくやる。特に人の意識が何かに捉えられた時が多い。これは単なる詩的修辞ではなく、詩人の世界や物事に対する見方、感じ方自体から発しているように思える。


ところで今日の引用文、「ことばを使うことはかなわず(ことばの欠如が捉え)」と「豊かな声もつまって出すことができなかった(豊かな声はとどめられた)」はダブっているような気がしていたのだが、よく考えてみるとそうではないようだ。

失語症aphasiaと失声症aphoniaという二つの医学用語がある。失語症は、脳の損傷により聞いたり話したりすることなどができなくなった状態であり、失声症は主としてストレスなどによる心因性の原因から声を発することができなくなった状態とされている。前者aphasia の語源が704行目にあるἀμφασίη [amphasiê] 、そして後者aphoniaは705行目のφωνήに否定のaが付いたものだ。

ペーネロペイアは失語状態になり、涙にくれ、失声状態にも陥ったのだろう。(うーん、これも人が主語だ)